竹原の磯兼広島県賀茂郡東野村(現在は竹原市)出身の磯兼一族の出発点は不明ですが,私がもっている資料で最も古い先祖は,嘉永4年(1852年)に数え年65歳で死亡した磯兼吉左衛門です。吉左衛門の長男誠之助についての資料はほとんどなく,子孫についても不明ですが,二男忠次郎は製塩業を起こして財を築き,その子孫は調べ上げただけでも200名近くにのぼります。ただし,竹原市在住者はいないようです。
忠次郎の長男雄平は,竹原市の前身にあたる賀茂郡竹原町初代の町長に就任し,4期16年にわたって務めました。竹原市役所と在屋神社に,雄平の功績を称えた頌徳碑が残っています。
忠次郎の長男雄平は,竹原市の前身にあたる賀茂郡竹原町初代の町長に就任し,4期16年にわたって務めました。竹原市役所と在屋神社に,雄平の功績を称えた頌徳碑が残っています。