磯兼雄平 | 竹原の磯兼

磯兼さんの部屋



最終更新:2019-12-12 スタート:2019-09-08
 磯兼雄平は,竹原市の前身にあたる賀茂郡竹原町初代の町長に就任し,4期16年にわたって務めました。竹原市役所と在屋神社に,雄平の功績をえたが残っています。雄平は,私の曾祖父です。


略歴
 弘化2年1845年)9月26日
  広島県賀茂郡東野村現在は竹原市)磯兼忠次郎の長男として誕生

 明治16年1883年)5月27日
  広島県豊田郡能良村現在は東広島市)善寺多田印順の三女タツと結婚

 明治22年1889年)3月8日
  町村制度施行に伴って誕生した賀茂郡竹原町の初代町長に就任

 明治37年1904年)6月28日
  藍綬褒章を受賞

 明治38年1905年)3
  4期16年間務めた町長を辞任

 昭和13年1938年)9月4日
  竹原町東野村で死去
写真

撮影:明治41年1908年)9月 63歳
 町長を辞めてから3年あまり後です。



撮影:大正14年1925年)ろ 80歳ぐらい


竹原町町長,初代から5代まで勢揃い
 地方自治制度制定50周年記念に撮影:昭和13年1938年)4月17日 磯兼雄平宅の縁側にて
 前列左から2代村上英,初代磯兼雄平,3代松阪昭二
 後列左から5代進藤林造,4代森川八郎
 雄平はこの年の9月,93歳を目前に亡くなりました。

磯兼雄平君頌徳碑
 頌徳碑は,竹原市役所の庁舎南側にある駐車場に隣接して設置されています。
 頌徳碑の後方には飲食店や民家などがあります。
 この頌徳碑は明治43年1910年)1月に 礒宮 八幡神社境内に建てられ,その後市役所に移されました。
 撮影:2019年3月


文字を書き写してみました。
磯兼
雄平
君頌
德碑
磯兼雄平君資性温厚夙從村政有聲望町村制施
行以來四膺竹原町長選善圓地方自治没深河川
埋填濱海共施教育防止疫厲改修道路奨勵製塩
皆克竭力又増殖本町基本財産矯正風俗鞅掌多
年勞功顕著者也明治三十七年六月二十八日官
乃賜君勅定藍綬褒章旌表其善行於是町民僉頌
君德建碑以傳諸不朽
 明治四十三年一月  竹原町長村上英謹識

朗翁頌徳碑
 東野村現在は竹原市東野町)有志が雄平の功績をえて,在屋神社の境内に建てた頌徳碑です。
 親戚から入手した資料には,町長引退後は東野村の開発に専念し,貢献偉大なるを以て,昭和十一年,村人有志相謀りて有谷大明神境内に頌徳碑を建立せらる」書いてありました。
 撮影:2019年10月




朗翁頌徳碑の除幕式
 碑の前にいる紋付姿は雄平ではないかと思います。
 晩年の雄平は朗翁とよばれていたそうです。
 撮影:昭和12年1937年)1月17日


朗翁頌徳碑に刻まれている文字


在屋神社付近の地図
 朗翁頌徳碑は,竹原市役所から4kmほど北方,赤丸印を付けたところにあります。