1997年4月(平成9)
名古屋工業大学(名工大)物理学教室に所属していた教員(当時は教官とよんでいた)は教養解体によって各学科へ振り分けられたが,北と磯兼は生産システム工学科の計測系に所属することになった。物理学教室は教養系であったため,所属する教員は学生の卒業研究を担当することはなかったが,生産システム工学科に所属する教員は研究室に配置された学生を指導することになっていたので,物理学教室から来た北教授と磯兼助手はひとつの研究室を発足させた。研究室の正式な名称は特には決まっていなかったが,「北・磯兼研究室」や北の主研究から「粒子線研究室」などの名称でよばれることになった。
研究室に配属された卒研生は田中友章と廣内和将の2名で,それ以外にも北が奥山教授から指導を委託されていた大学院2年生の後藤俊輔がメンバーに加わった。
1998年2月20日(平成10)
生産システム工学科計測コースの卒研発表会がおこなわれた。
1998年3月24日
午前中に卒業式,午後からは生産システム工学科の謝恩会が出雲會館でおこなわれた。研究室の田中と廣内,それに後藤が卒業した(大学院の場合は卒業とはいわないが,ここでは卒業で統一する)。
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