周防の礒兼

磯兼さんの部屋


最終更新:2021-02-03 スタート:2019-08-31


はじめに

色温度このようなパターンをすると小窓が出現します。小窓の中には,何か入っています。


で出現したものは,で閉じます。


見本の画像をすると大きくなり,再びすると元に戻ります。


 令和元年2019年)8月,瀬戸内海の屋代島山口県大島郡周防大島町),礒兼屋敷跡などを訪ねたときの記録です。
 訪ねることになったきっかけは,インターネットで磯兼〕検索していた2017年,沖家室への道というサイトの中に,磯兼屋敷跡という史跡があることを見つけたからです。

もくじ


礒兼屋敷跡
礒兼の古墓
周防の礒兼さん


礒兼屋敷跡磯兼屋敷跡)

 行く前に地図と航空写真でおよその場所を調べました。
地図1〕周防大島町広域

地図2〕外入地区
 地図1〕,赤枠の中を拡大しました。

 地図2〕,右の赤枠内の航空写真です。

 以下は,行ったときに撮った写真です。

 航空写真上のA点から東の方を見たところです。正面の石垣が礒兼屋敷跡です。左端にB点にある礒兼屋敷跡の案内板,中央にはC点にある説明板が見えます。

 B点にある案内板です。平成27年2015年)周防大島町の外入地区を中心に活躍している市民グループ〔花の咲く夕日の里づくりの会〕によって設置されたとのことです。

 C点にある2枚の説明板です。案内板と同時に設置されたようです。

 D点から南東の方を見ました。小川に架けた小さな橋が左手にあり,屋敷跡の方へ上って行く小径があるのがわかります。

 橋を渡って,屋敷跡の方へ向かいます。

 E点のあたりまで来ました。小さい小屋が建っています。

 木々の間から海が見えました。



 台風が接近していたりして時間的余裕があまりなかったことと,訪れる前には礒兼屋敷跡についての情報がほとんどなかったため,屋敷跡のもっと南の方や案内板にあった荒神社などは行かずじまいになりました。

礒兼の古墓
 礒兼屋敷跡の案内板と説明板に,屋敷跡にあった古い墓は西光寺に移された」書いてあったので,西光寺を訪れました。西光寺は地図2〕左側の赤枠内にあります。赤枠内の航空写真を次に示します。

 西光寺の住職に案内してもらって,墓地へ向かいました。写真は,航空写真の楕円赤枠の中心あたりから北を見たところです。

 少し傾いた石灯篭にも似た墓が礒兼の古墓だと言われました。古墓は墓地の最北端近くにありました。

 北の方から見たところですが,手前にある少し壊れたような墓も含めた3基が礒兼の古墓のようです。

 あとで調べたら,これは宝篋印塔という仏塔でした。地面からの高さは125cm,偶飾とよばれる笠の幅は35cmほどありました。



 墓ということで,どんな文字が刻んであるのか期待しましたが,文字は確認できませんでした。
 ブログ周防大島町東和地区の集落・外入には,古墓は西光寺墓地にあり、宝筐印塔では町内で二番目に古い石塔墓である。書いてありました。なお,ここでいう町内は,合併して周防大島町となる前の東和町の町内だと思われます。


周防の礒兼さん
 外入あたりでは,何人かの礒兼さんや礒兼さんを知っている」いう人に会うことができました。私のなかには磯兼は珍しい名字」という思いがありますが,外入では普通に知られた名字だということを聞いて,驚きました。
 私の名字は,戸籍に磯兼と書いてありますが,周防大島町では礒兼が使われています。私の場合も曾祖父の戸籍には礒兼が使われているので,もともとは礒兼だった可能性があります。漢字についてはもっと調べる必要があると思います。