竹原の墓 | 竹原の磯兼

磯兼さんの部屋



最終更新:2019-12-12 スタート:2019-09-08
竹原市東野町の山林にあった,磯兼家の墓を紹介します。 墓の詳細 磯兼家専用のページ
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概要 略史 写真


概要

 墓地は,明治時代に磯兼の家があった裏山の斜面を切り開いて作られ,山の斜面に沿って東西方向に長い棚が三段になっているという構造でした。墓地には,近くにあった古い墓地から移した墓や自然石を立てただけの墓を含めて,25基の墓が並んでいました。
略史

 墓地が作られた当時は,何家族かの磯兼が付近に住んでいましたが,やがて郷里を離れていくようになり,第二次大戦後は,竹原に住む磯兼が誰もいないという状況になってしまいました。そうなると墓の世話が問題になってくるところですが,幸いなことに墓地のすぐ下の家に住むことになった人が引き受けてくださいました。

 さて時は流れて半世紀あまりが経過し,墓参に訪れる人も墓の世話をする人もほとんどいなくなってしまいました。関係者の間に「墓をどうしよう」という話が持ち上がってきました。そうした矢先,平成30年7月豪雨が西日本を襲い,竹原の墓も被災しました。そこで「このままでは墓地は荒廃し,人に迷惑をかけてしまう」と考えた磯兼家の有志は,被葬者墓に葬られている人の子孫の許しを得て,共同墓地に新しい墓を建てて改葬することに踏み切りました。
写真

 墓は,民家の後方に迫っている山林の中にありました。


 坂道を上って行くと,墓が見えてきました。


 墓地に到着しました。


 一段目の東方は,比較的広いスペースがとってありました。


 二段目に上る石段の下から見上げました。二段目の西から1基目は,雄平の母,2基目は父忠次郎,6基目は祖父吉左衛門,7基目は祖母の墓でした。


 二段目の中ほどから東を見たところです。二段目と三段目は,墓の前がやや狭い感じでした。


 三段目の墓は3基だけで,中央が雄平の墓でした。


 令和元年2019年)8月,山林の墓地からおよそ1km東方の共同墓地に建てた新しい墓碑の前で,建碑・納骨の法要がおこなわれました。


 山林にあった墓地は,コンクリートの擁壁や石段,ブロックだけが残っています。




 写真の多くは,遷仏法要墓石等を別の場所に移すときなどにおこなわれる法要がおこなわれた令和元年2019年)5月に撮影しました。