大和町妙興寺境内にある火の見櫓は,4本脚で非常に大型です。森の中に建っているために全体を見ることができませんが,
島町の火の見櫓に匹敵する,私が見つけた火の見櫓の中では最大級です。頂上付近にはスピーカーとサイレンが,脚の途中に突き出した切妻屋根の下には鐘があります。妙興寺は尾張地方屈指の大きな寺で,境内は東西300m,南北400mほどもあって,その中に一宮市博物館も建てられています。地図左下付近に青円で示したところには
妙興寺西之口の火の見櫓があります。
この火の見櫓は妙興寺の境内を自転車で散策していて見つけました。
火の見櫓を示す「高塔の記号」は地図上にありません。 its-moNavi (約1/2000)
妙興寺の境内を通っている小径を東に進んでいたら小屋がありました。よく見たら火の見櫓と思われるものがありましたが,見上げても生い茂っている木々にさえぎられてよく見えませんでした。↓2008-10-16
小径がある南側から見たところ,やはり火の見櫓であることがわかりました。小屋には「妙興寺消防団車庫」と書いてありました。
火の見櫓の足元を行きすぎて小屋の東側から見上げたところ,ほぼ全体を見ることができました。およそ2kmほど南にある
島町の火の見櫓に匹敵する,私が見た火の見櫓としては最大級です。
火の見櫓の足元です。脚の
脚のスパン最下部における脚の外側間の距離を計ったところ254cmでした。土台の中央付近には「耕地整理記念」と書いた石碑が建っています。スパンの長さも,土台に石碑が建っているところも,
島町の火の見櫓に似ています。
50mほどの東方から見た火の見櫓です。頂上付近がよく見えます。
上の写真と同じ位置から見た,火の見櫓の頂上付近です。屋根の下には4つのスピーカー,見張台の上には電動サイレンが設置されています。矢に小鳥が止まっていました。
さらに東方,T字路から見た火の見櫓です。今まで木々に隠れていた脚の途中の鐘が見えました。
アーチ部分の上端にあった銘板です。「昭和29年3月 稲垣鉄工所」と刻んでありますから,半世紀以上前に建てられたことになります。