国道1号線から美濃路の追分までの美濃路を取り上げます。①〜③
この間は,都市化の影響をもろに受け,街道の面影★はほとんど残っていません。ただし,東海道から美濃路が分岐する追分★は,美濃路にとって,非常に重要な場所です。
① 西方に,幅50m級の国道が交差する「熱田神宮南」交差点があって,規模の大きい歩道橋が設置されています。国道1号線を越えるには,この歩道橋を利用すると楽です。
地図 A ← 2021-12
② 歩道橋から,垂井の方に向かう美濃路のがある方を見ました。青色の案内標識が並んでいるあたりに美濃路が通っています。
地図 B → 2021-12
歩道橋から,追分★に近い方の美濃路を見たところです。美濃路は,右手にある高層住宅の手前を通っています。
地図 C → 2021-12
歩道橋から下りたところから美濃路がある方を見たところです。追分に向かうには,この先の横断歩道があるところで右(南)に折れます。
地図 D ↘ 2021-12
右(南)に折れた先です。途中までは美濃路ですが,追分の先は東海道です。
地図 E ↙ 2021-12
垂井に向かう美濃路は国道1号線に行く手をさえぎられます。国道1号線を越えるには,左(西)に折れた先にある歩道橋を使用すると楽です。正面に熱田神宮の鳥居が見えます。
地図 F ↗ 2021-12
③ 東海道から美濃路(佐屋路)が分岐する追分★に,道標★や説明板などが置かれた一郭があります。
地図 G ↘ 2021-12
道標の高さは1.40m,幅0.22mです。説明板にも書いてありますが,もとは鉛筆マーク H の位置にありました。
地図
説明板です。
熱田区役所が設置した,別の説明板もあります。
東海道を江戸の方からやって来て,美濃路の追分まで来たところです。左(南)に折れると七里の渡しの方へ向かう東海道,右(北)に折れると美濃路になります。
現在はなんの趣もありませんが,昔は正面に源太夫社という比較的大きな神社があって,その前には高札場★が設けられていました。街道は大勢の旅人などで賑わっていたとのことです。しかしこのあたりは空襲によって被災し,源太夫社も消失しました。すでに取り上げたように,源太夫社は,その後熱田神宮の境内南東部に上知我麻神社として移設されました。その跡地には,ほうろく地蔵とよばれている祠があるだけです。
源太夫社は,見取絵図★にも源太夫神社として描かれています。
地図 I ↖ 2021-12
本来は,美濃路の追分の北側,現在は別の道標などがある一郭あたりにあった道標が,民家の敷地内にあります。戦災で破損したものを修復したとのことですが,かなり傷みがひどいです。
地図 J ↗ 2021-12