名古屋市熱田区 3

美濃路探訪


最終更新:2022-03-05 スタート:2022-02-28


はじめに

色温度このようなパターンをすると小窓が出現します。小窓の中には,何か入っています。


で出現したものは,で閉じます。


見本の画像をすると大きくなり,再びすると元に戻ります。


 旗屋町差点から国道1号線までの美濃路を取り上げます。①〜⑧
 この間は,当時の美濃路が,熱田神宮に沿った幅の広い歩道とほぼ一致することと,壮大な熱田の森が続いていることもあって,街道の面影が残されています。この間には源頼朝出生地モニュメント白鳥の道標熱田神宮美濃路のコースが変わってしまった区間などがあります。

地図:旗屋町交差点から国道1号線までの美濃路
地図:旗屋町交差点から国道1号線までの美濃路





旗屋町差点をすぎると,左手東側)熱田神宮が続きます。明治地図を参考にすると,熱田神宮に沿って設けられている幅の広い歩道が当時の美濃路と一致します。



誓願山門が造られた一郭があって,標柱説明板などが置かれています。
 見取絵図にも誓願寺が描かれていて,さらにも添えてあります。

 地図 A ← 2021-12



 標柱の正面です。誕生地ではなく誕生旧地となっているのはなぜでしょうか。

 標柱の向かって左側と右側の刻字は次のようです。□の部分は,まだ読み取れていません。
           岡﨑石工
 明治三十三年十一月
             成□□□ 
 
 名古屋市塩町
        伊藤萬藏
 

 説明板です。

 山門の右側にある誓願寺寺標?です。先頭に,阿弥陀如来意味するが置かれています。

 山門などがある一郭の左にある通路を入ったところから見た境内です。正面に説明板があります。右の建物が終わったところからちらっと見えている,少しカラフルな鉄筋コンクリート造りの建物が,誓願寺本堂です。

 説明板です。

 山門などがある一郭を背後から見たところです。


 江戸時代から昭和の初期にかけて,誓願寺熱田神宮との距離は,間に美濃路が通っているだけの近さでした。ということで誓願寺山門は現在より40mほど東にありました。誓願寺は,戦災で本堂などの建物が消失し,さらに国道19号線が新設されることになったとき,境内が大きく縮小された。の記録があります。現在残っているようにみえる山門ですが,見取絵図尾張名所図会に描かれた山門とは形も規模も違うので,明らかにモニュメントとしてつくられたものです。いつごろつくられたかは,今のところわかりませんが,国道19号線が整備された高度成長期のころではないかと思われます。



白鳥道標が,植込のなかにひっそりと建っています。白鳥御陵は,白鳥古墳のことです。道標のすぐ南にある道を西に二丁200mあまり)むと,白鳥御陵があることを示しています。

 地図 B ↙ 2021-12


 ここから白鳥古墳まで,実際には350mほどあるので,を読んで書いたのかもしれません。

 道標の正面です。

 道標の,向かって左側,正面,右側の刻字は次のようです。
 馬車会社は,乗合馬車を運営していた会社だと思われますが,時代を感じさせられます。

愛知共同馬車會社中建之
 

白鳥御陵
 従是西二丁 
 

明治三十七年五月



 白鳥歩道橋美濃路国道19号線いでいます。

 地図 C ↘ 2021-12

 歩道橋の手前にある西に向かう道ですが,けっこう急な下り坂になっています。このあたりの美濃路は,熱田台地を通ってるからです。

 地図 D ← 2021-12



 松屋院見取絵図にもある,古い寺です。

 地図 E ← 2021-12



 白鳥歩道橋から南の方を見たところです。左に熱田神宮西門があります。

 地図 F ↓ 2021-12



熱田神宮西門です。すぐ近くにトイレがあります。

 地図 G → 2021-12

 西門の前から南の方を見たところです。この歩道は当時の美濃路の上につくられました。




 美濃路歩道)この先でやや急な下り坂になります。熱田台地の南端に近づいてきたからです。車道は,すでに熱田神宮西門あたりから緩やかに下っています。ということで,このあたりは歩道が車道よりも1mほども高くなっています。

 地図 A ↓ 2021-12



美濃路はこの先で左東)折れます。熱田神宮石垣がかなり高くなったことからも,美濃路歩道)下ってきたことがわかります。

 地図 B ↓ 2021-12



 熱田神宮の南端で左東)折れた先です。こんどはやや急な上り坂になります。
 あとで取り上げますが,この道は当時の美濃路ではありません。

 地図 C → 2021-12



美濃路熱田神宮正門前で右南)折れます。

 地図 D → 2021-12

 垂井に向かう美濃路は,熱田神宮正門前で左西)折れます。正面に見えている鳥居は,熱田神宮第一鳥居です。

 地図 E ↑ 2021-12

熱田神宮境内に入ったっところから西の方を見たところです。実は,ここから正面に見える神社に向かっている道が,当時の美濃路です。  宮宿から垂井の方に向かう旅人は,ここまで進んで来て,左西)向かいました。
 正面に一部が見えている神社ですが,実は,知我麻神社といって,あとで取り上げる,美濃路追分にあったが移設されたものです。
 このすぐ先にトイレがあります。

 地図 F ← 2021-12


 現在,美濃路として本や地図などに紹介されている熱田神宮の南を通っています。そこで,そのを当時の旅人が歩くことを想像してみます。たとえば東海道から名古屋へ行く旅人がいたとしましょう。旅人は,最初に熱田神宮へ向かう急な坂をおよそ3mほど上る必要があります。そして左西)折れると,こんどは急な坂を1.5mほど下り,右北)曲がった先で,また急な坂を2mほど上ることになります。私は美濃路という主要街道に,こんなにアップダウンがあるのはおかしい。思いました。長旅で疲れている旅人に,少しでも楽をしてもらうように道を整えたはずだからです。そこで明治地図を調べたところ,美濃路は当時の熱田神宮の南と西に沿うように存在していました。現在の地図と位置合わせをすると,当時の美濃路は,現在の熱田神宮境内の南端付近を通っていました。この道はすべて熱田神宮の高さにあるので,もちろんアップダウンはありません。鉛筆マーク F から西へ進むと,トイレのあたりまでは道がありますが,その先はで被われています。短い距離ですが,ここも失われた美濃路ひとつといえそうです。
 地図



 熱田神宮の前から下っていく美濃路沿いに,林桐葉宅跡説明板が設置されています。

 地図 G ↗ 2021-12

 説明板の日本語のところだけ,その内容を書いておきます。説明板は縦書きで次のようにかいてあります。文の折り返しは,現物のとおりではありません。
林桐葉宅跡
 林桐葉は熱田の郷士で、貞亨元 年一六六四)野ざらし紀行』旅をしていた芭蕉を、わが家に迎えて蕉門に入り、また鳴海の下里知足を紹介するなど、尾張蕉風の開拓者となった。芭蕉もよく立 寄って名吟を残し、熱田三歌仙』ここで巻かれている。
 晩年は元竹と号し、書道に熱中して俳諧から遠ざかった。正徳二年一七一二)した。
   名古屋市教育委員会


 石段を上った右手に喫煙室があります。歴史的な場所が喫煙室になっていることに,ちょっぴり違和感を感じます。



 林桐葉宅跡から美濃路をはさんで反対側に蔵福銅鐘説明板が設置されています。
 藏福寺藏福寺見取絵図にもある古い寺です。

 地図 H ← 2021-12




美濃路は,道幅が50mほどもある国道1号線に行く手をさえぎられます。この先に進むためには,右西)折れて,その先70mほどのところにある歩道橋を渡ることになります。

 地図 I ↙ 2021-12

 垂井の方に向かうときは,この先で左北)折れて,本来の美濃路に入ります。

 地図 J ↘ 2021-12