「 西高蔵 」交 差点から「 旗屋町 」交 差点までの美濃路 を取り上げます①〜④
この間の美濃路 は大都市の中を通る幅50mの国道19号線 に埋もれてしまいました。しかし沿道には青大 悲寺 の長い白壁 や古風な建物 ,断 夫 山 古墳 などがあって目を楽しませてくれます。熱田神宮第二神門跡 の標柱★ も建っています。
① 「 西高蔵 」交 差点にある地下鉄西高蔵駅 の2番出入口です。
地図 A ↗ 2021-12
② 都会的な建物が続いてきた中,突然古風な建物が現れました。青大 悲寺 です。
見取絵図★ には,ほぼ同じ場所に常行堂弥陀 と添えてある寺院が描かれていますが,青大悲寺 と関連があるのかどうかはわかりません。
地図 B ↓ 2021-12
説明板 があります。
山門★ を入れて,南の方から見たところです。
寿琳 寺 ( 壽琳寺 )は, 見取絵図★ にもある古い寺 です。
地図 C ← 2021-12
県営 「 熱田神宮公園 」の 入口です。熱田神宮公園 は主にスポーツ公園 ですが,東海地方最大の前方後円墳 「 断 夫 山 古墳 」や ,児童公園 もあります。もちろんトイレ もあります。
地図 D ↓ 2021-12
断夫山古墳 の端です。
地図 E ↙ 2021-12
③ 車道に近い歩道に,「 熱田神宮第二神門跡 」の 標柱★ が建っています。第一神門 の標柱 と同様に,文字は車道側に彫ってあります。
見取絵図★ を見ると,一之鳥居 よりひとまわり小さい鳥居が描かれていて,熱田二之鳥居 と添えてあります。やはり美濃路 を跨ぐようなかたちで建っていますが,鳥居 の両側に余裕があるので,道幅を広げるようなことはしていません。
地図 A ↘ 2021-12
第一神門跡 と第二神門跡 の標柱 を見ると,非常に気になることがあります。なぜ鳥居 ではなく神門 なのかということです。一般に,神門 は鳥居 とは別の施設で,いわゆる門 です。熱田神宮 には,織田信長 が元亀2年( 1571年)に 新造した正門 「 海蔵 門 」が あって,見取絵図 にも描かれています。もちろん,海蔵門 の前には鳥居 があります。ということで,参考文献 を調べてみましたが,すべて「 一之鳥居 」ま たは「 一ノ鳥居 」と 添えてあって,「 神門 」な どというものはありません。明治11年( 1878年)に 発行された熱田の地図 にも一ノ鳥居跡 と添えてあります。これらの標柱 だけが神門 となっていることに加えて,建てた者や建てた年月日の刻字がないのも,これまた疑問です。しっかりした機関が調査して,標柱 を建て替えるか,または「 なぜ神門 となっているか」の 理由を書いた説明板 を設置していただきたいと思います。
なお海蔵門 は,戦災で消失したとのことです。
④ 「 旗屋町 」交 差点から,熱田神宮 の方を見たところです。この交差点で,美濃路 ( 国道19号線 )は 少し右( 西)に 曲がります。
地図 B ↘ 2021-12
地下鉄神宮西駅 の4番出入口です。
地図 C ↘ 2021-12