「金山新橋南」交差点から「西高蔵」交差点までの美濃路を取り上げます。①〜④
この間の美濃路は大都市の中を通る幅50mの国道19号線に埋もれて,街道の面影★はほとんど残っていません。ただ佐屋路★の道標★や「熱田神宮第一神門跡」の標柱★が当時を偲ばせてくれます。
① 「金山新橋南」交差点の南西角に佐屋路★の道標★が建っています。高さは歩道の面から137cm,幅は29cmです。
地図 A ↘ 2021-12
西を向いている面です。
道標の4面に刻んである文字を下に示します。最上部の方位だけは大きな字にしましたが,その他の文字は同じ大きさで揃えました。
この
道標はもともと
佐屋路の北側,
鉛筆のマーク Bで示した位置にありましたが,何らかの理由で現在の位置に移されました。破損して修復したとのことですが,文字
四が欠けています。また
道標の下の方は土に埋もれて,文字は読めません。
参考文献で調べて加えておきました。なお
「つしま」
の「つ」
は万葉仮名です。
見取絵図★にも,
鉛筆マーク Bで示した位置に
道標があります。
地図
現在の佐屋路=県道115号線(津島七宝名古屋線)です。この県道はこの交差点が終点です。
地図 A ← 2021-12
「新尾頭」交差点です。ここまでほぼまっすぐ南下してきた美濃路(国道19号線)は,ここで少し左(東)に曲がります。
地図 C ↓ 2021-12
② 「熱田神宮第一神門跡」の標柱★が,歩道の植込に建っています。
地図 D ↘ 2021-12
歩道側は単なる石柱ですが,車道側から見ると文字が彫ってあります。非常に交通量が多いので,車道側から見るときは,「車に注意」です。
見取絵図★を見ると,笠木(最上部の横木)以外は朱色の大鳥居が美濃路を跨いでいて,鳥居には熱田一之鳥居と添えてあります。気になるのが,大鳥居のあるところだけ,道の左右それぞれ家1軒分ほど道幅が広くなって,広くなった状態が数軒分ほど続いていることです。何らかの理由で大鳥居をくぐることができなかった人たちのために設けたのでしょうか。大鳥居は,高さが三丈五尺(約10.5m),柱回りが一丈(約3m)あったという記録が残っています。明治時代に入ってすぐ,大鳥居は撤去されてしまいましたが,鳥居があったところだけ道が広くなっていた様子は,次に示す明治地図★を見るとよくわかります。(鉛筆マークで示した位置)
現在建っている標柱の設置時期はよくわかってないようですが,昭和初期にはあったとのことです。
③ 「新尾頭二丁目」交差点で,美濃路(国道19号線)は,再び左(東)に少し曲がります。
地図 A ↘ 2021-12
実は,初期の佐屋路★はこの交差点で美濃路から分かれて西に向かい,堀川を尾頭橋で渡っていました。尾頭橋は現在の瓶屋橋です。しかし寛文5年(1665年),分岐点を北に約600mほどのところ,すなわち佐屋路の道標があるところに移動させることになって,新しい道が整備され,新しい尾頭橋が架けられました。新しい尾頭橋は「新橋」,そして分岐点から新橋までの道は「新橋通り」とよばれて親しまれていました。現在も,「新橋通」というバス停に,その名をとどめています。
◎「新尾頭二丁目」交差点近くの花町公園にトイレがあります。
地図
雲心寺は見取絵図★にもある古い寺です。
地図 B ← 2021-12