「 古渡町 」交 差点から,「 金山新橋南 」交 差点までの美濃路 を取り上げます。①〜⑥
この間の美濃路 は大都市の中を通る幅50mの大通( 国道19号線 )に 埋もれて,街道の面影★ はほとんど残っていません。当時の美濃路★ にはあった,山王前 の立場★ や古渡 の一里塚★ なども,痕跡 すらありません。
② 「 古渡町 」交 差点をすぎて,最初の建物はなんと古民家★ です。ビルが建ち並ぶ中にあって,特異な存在です。
地図 A ↘ 2021-12
10車線幅の国道19号線 が作られたのは,高度成長期★ です。そのとき美濃路 ( 本町通り )は 国道 に飲み込まれてしまいました。「 美濃路探訪 」に 掲載している地図は,明治地図★ を参考に本来の美濃路 を記入していますが,この古民家 が美濃路 に沿って建てられていたと考えると,30mほど東に移築された可能性があります。
鉛筆マーク のところに,かつて古渡一里塚跡 と書かれた木の札が立っていました。2019年1月に撮影された「 Google Street View」に それがありますが,2019年8月に撮影された写真では確認できません。
Google Street View 2019-01
古渡一里塚跡の札 が,なぜこの場所にあったのか,不思議です。見取絵図★ によると,伝昌寺 のすぐ近くに一里塚 がありました。ということは,古渡一里塚跡の札 は本来の位置から200mも北にずれていたことになります。
③ 見取絵図★ によると,現在「 カーコーティング 」の 店があるあたりに「 山王前の 立場★ 」が あり,その先に見える西に向かう道は,たくさんの神社 が密集していたところへ向かう参道 でした。参道 には茶屋 や芝居小屋 などが店を並べて賑わっていたようです。見取絵図 の解説書によると,現在の稲荷神社 ( 古渡稲荷 )が 山王 にあたるとのことです。
地図 B ↙ 2021-12
伝昌寺 ( 傳昌寺 )は 見取絵図★ にもある古い寺 です。
地図 C ← 2021-12
④ さて古渡町 の一里塚★ ですが,見取絵図 ,そして明治地図★ と現在の地図を照らし合わせると,鉛筆マーク D と E で示したところ,ちょうど正 木 歩道橋 が架かっているあたりにあったと思われます。専門家がしっかりと調査して,ほぼそのあたりだということになれば,歩道橋 に「 古渡の一里塚跡 」と でも添えてもらえると嬉しいです。
地図
歩道橋 の上から垂井 の方を見たところです。
歩道橋 の上から熱田 の方を見たところです。どちらにしても,街道の面影★ は,ほとんど残っていません。
地図
見取絵図★ によると,このあたりに高札場★ がありました。道路の反対側にある妙住寺 の位置などを参考に見当を付けてみました。
地図 A ↓ 2021-12
⑤ 熱田台地 を切り取った堀割 の中を,JR中央線 /名鉄名古屋本線 /JR東海道線 が通っています。そして金山駅 があります。美濃路 ( 国道19号線 )は 長さ76m,幅50mの跨線橋 「 新橋 」で 堀割 を渡ります。
地図 B ↘ 2021-12
「 金山新橋南 」交 差点を渡ると,名古屋市中区 から名古屋市熱田区 に変わります。
地図 C ↙ 2021-12