「若宮大通本町」交差点から,「古渡町」交差点までの美濃路を取り上げます。①〜⑧
この間には賑やかな大須の商店街,近くには大須観音/赤門で知られる大光院/織田信長ゆかりの総見寺などがあります。やがて本町通りが国道19線に吸い込まれてしまうあたりに,橘町の大木戸跡のモニュメントがあります。
① 「若宮大通本町」交差点をすぎたところです。
地図 A ↓ 2021-12
極楽寺は見取絵図★にもある古い寺です。
地図 B ← 2021-12
② 美濃路(本町通り)は,「赤門通本町」交差点をすぎると,歩道に屋根が設けてある「大須本通り」商店街になります。
赤門通りの東側に「赤門」商店街のゲートが見えます。ゲートをくぐってすぐのところに,電子パーツ店などがたくさん入っている「第2アメ横ビル」があります。
地図 C ↓ 2021-12
「赤門通本町」交差点で右(西)に折れて,少し行くと大光院の山門★があります。朱塗りの山門は「赤門」という名で親しまれ,赤門前の通りは「赤門通り」とよばれています。大光院は見取絵図★にもある古い寺です。
地図 D ↑ 2021-12
美濃路(本町通り)
に戻って,少し東に進んだところに
総見寺(總見寺)
があります。
織田信長ゆかりの
寺で,もともと
清須にありましたが,
清須越★のとき,ここに移されました。
総見寺は
見取絵図★にあります。
すでに取り上げましたが,
清須市にも,その後再建された
総見院があります。
地図 E ↑ 2021-12
③ 「万松寺通本町」交差点で,アーケードのある商店街と交差します。交差点から東側は「大須万松寺通り」商店街,西側は「大須観音通り」商店街です。特に「大須万松寺通り」商店街は,地下街は別にして,名古屋市内でもっとも賑やかな商店街といわれています。写真は「大須万松寺通り」商店街のゲートです。
美濃路(本町通り)の商店街は,ここまでの「大須本通り」商店街から,「門前町通り」商店街に代わります。歩道の屋根がぐっと変わります。
地図 F → 2021-12
◎「万松寺通本町」交差点から「大須観音通り」商店街に入ってすぐ右(北)に折れると,那古野山公園にトイレがあります。
地図
④ 美濃路(本町通り)は,「仁王門通本町」交差点で,再びアーケードのある商店街と交差します。交差点から東側は「大須東仁王門通り」商店街,西側は「大須仁王門り」商店街です。写真は「大須仁王門り」商店街のゲートです。
地図 G ← 2021-12
「大須仁王門り」商店街に入ってすぐのところです。この商店街も賑やかです。
2021-12
「大須仁王門り」商店街のアーケードを出た先に仁王門とよばれている大須観音の山門★があります。
地図 H ↑ 2021-12
山門から入って見た大須観音の境内です。
大須観音は,12世紀の終わりごろ,尾張国中島郡長岡庄大須郷(現在は岐阜県羽島市桑原町大須)に建立された中島観音堂がはじまりだといわれいます。やがて寺には貴重な古文書などがたくさん保管されるようになりましたが,水害による損失をたびたび受け,特に慶長10年(1605年)の木曽川の氾濫は著しく,多くの建物が流失しました。これを見かねた徳川家康は,慶長17年(1612年)に現在の地に移して復興させました。清須越★のころです。
この地では大須観音とよばれて親しまれ,美濃路からは門前町が形成されて,たいそう賑わったとのことです。
地図
「大須」交差点に近づいたところに「大須」商店街のゲートが美濃路(本町通り)を跨いでいます。
地図 I ↙ 2021-12
⑤ 「大須」交差点で,やや交通量の多い大須通りと交差します。「門前町通り」商店街は,ここでおしまいです。
地図 J ↙ 2021-12
「大須」交差点をすぎると道の両側には仏壇店が軒を連ね,街の様子ががらりと変わります。人通りも車の往来も,だいぶ少なくなった感じがします。それでも,歩道の半分以上を占める幅の屋根が設けてあり,都会的な雰囲気をかもしだしています。
地図 A ↓ 2021-12
美濃路に面したところに西別院の案内看板と説明板があります。西に向かう道の正面に西別院が見えます。
見取絵図★には西本願寺と添えてあり,美濃路から参道が続いています。
地図 B ← 2021-12
説明板です。
「門前町」交差点をすぎて,垂井の方を振り返ったところです。歩道の屋根は終わりますが,仏壇・仏具店はまだまだ続きます。
地図 C ↗ 2021-12
妙善寺は見取絵図★にもある古い寺です。
地図 D ← 2021-12
⑥ 妙善寺近くの交差点から南の方を見たところです。この先にも何軒かの
仏壇店があります。右手には久しぶりに
古民家★が建っています。ここで左
(東)
に折れて進むと,
栄国寺に突き当たります。
栄国寺があるあたりは
千本松原といわれていて,
江戸時代のはじめごろに
尾張藩の
刑場が設けられました。特に2百人を越える
切支丹の処刑はすさまじかったといわれています。
刑場は,その後,すでに取り上げた
清須の
瑞正寺の近くに移されましたが,処刑された人の供養のために
栄国寺が建てられました。
栄国寺の境内には
切支丹遺蹟博物館があるほか,
切支丹の処刑に関するいくつかの遺跡が残されています。
栄国寺は
見取絵図★にもあります。
地図 A ↙ 2021-12
美濃路沿いに久しぶりに見た古民家は,美濃佐商店 酒店です。前を通る美濃路にちなんだ名前でしょうか。隣接する古民家のフェンスに「橘町大木戸跡」の説明板が取り付けてあります。
説明板に書いてある一対の街路灯は,ここから100mほど先にあります。
地図 B ↖ 2021-12
説明板には縦書きで次のように書いてあります。文の折り返しは,現物のとおりではありません。
橘町大木戸跡
江戸時代、名古屋の城下には治安のため、辻ごとに木戸が設けられ、なかでも城下に通じる主要な街道の入口には「大木戸」を設け、夜間は閉鎖し城下防衛の役割をはたしていました。名古屋城下には大木戸が三ヶ所あり、赤塚(東区)は下街道、樽屋町(西区)と橘町(中区)は城下の街並みに包まれ南北に縦断する本町通り、宮の熱田より大垣に至る美濃街道(美濃路)に設けられていました。
この大木戸があった橘町は、名古屋城築城より五十余年後の頃、南寺町として城下の防衛を担った千本松のこの地を、寛文四年甲辰十一月五日(一六六四)尾張藩二代藩主徳川光友侯により「橘町」と命名いただき、平成二十六年(二〇一四)満三百五十年を迎えます。そこで、橘町開町三百五十年を記念して「橘町大木戸」の柱をイメージしたデザインの街路灯を一対設置し、往時この大木戸を通行していった、朝鮮通信使・琉球使節・ゾウや幾多の旅人達に思いを馳せ、地域のランドマークになれば幸甚に存じます。
なお、『橘町大木戸』の『橘町』の文字は、徳川光友侯の御親筆とされる文字を使わせていただきました。
平成二十六年十月
橘町町内会
一般財団法人
名古屋瑞竜工芸技術保存振興会
⑦ 先ほどの説明板にあった,橘町大木戸跡に作られた一対の古風な街路灯です。日章旗が掲げてあります。
美濃路(本町通り)は,このすぐ先で国道19号線に吸い込まれてしまいます。
地図 C ↙ 2021-12
西側の街路灯です。皮肉なことに,そのすぐ背後に強力なLED街路灯がそびえていました。
名古屋市が設置した大きい説明板が建っています。
地図 D ↑ 2021-12
説明板の全体です。陽が照ってきてしまい,上部が暗くなってしまいました。
説明板の左側です。掲げてある絵
「橘町 大木戸付近の様子」
については,
「『絵本
上雲雀』より 名古屋市博物館所蔵」
と記載されています。
QRコードが読み取れないと思いますが
なごや歴史探検です。
説明板の右側です。
見取絵図★,明治地図★,そして現在の地図から推測すると,橘町の大木戸は鉛筆マーク E で示すあたりにあったと考えられます。しかし,こんな大通の中にモニュメントを作ることは不可能ですから,現在の位置に作られたのでしょう。
地図 E
「古渡町」交差点で,交通量の多い山王通りを渡ります。頭上を通る名古屋高速都心環状線の高架に圧倒されてしまう感じがします。
地図 F ↓ 2021-12