名古屋市西区区 6

美濃路探訪


最終更新:2022-03-05 スタート:2022-02-18


はじめに

美濃路このような箇所をすると説明などが表示されます。が付いている語句は美濃路探訪」ついてここだけ事典」詳しい説明が書いてあります。


で出現したものは,で閉じます。


見本の画像をすると大きくなり,再びすると元に戻ります。


 若宮大通本町差点から,古渡町差点までの美濃路を取り上げます。①〜⑧
 この間には賑やかな大須の商店街,近くには大須観音赤門で知られる大光院織田信長ゆかりの総見寺などがあります。やがて本町通り国道19線に吸い込まれてしまうあたりに,橘町の大木戸跡モニュメントがあります。

地図:若宮大通から古渡町交差点までの美濃路
地図:若宮大通から古渡町交差点までの美濃路





若宮大通本町差点をすぎたところです。

 地図 A ↓ 2021-12



 極楽見取絵図にもある古いです。

 地図 B ← 2021-12



美濃路本町通り赤門通本町差点をすぎると,歩道に屋根が設けてある大須本通り店街になります。
 赤門通りの東側に赤門店街ゲートが見えます。ゲートをくぐってすぐのところに,電子パーツ店などがたくさん入っている第2アメ横ビルあります。

 地図 C ↓ 2021-12



 赤門通本町交差点で右西)折れて,少し行くと大光院山門があります。朱塗りの山門赤門いう名で親しまれ,赤門前の通りは赤門通りよばれています。大光院見取絵図にもある古いです。

 地図 D ↑ 2021-12



 美濃路本町通り戻って,少し東に進んだところに総見總見寺あります。織田信長ゆかりので,もともと清須にありましたが,清須越のとき,ここに移されました。総見寺見取絵図にあります。
 すでに取り上げましたが,清須市にも,その後再建された総見院があります。

 地図 E ↑ 2021-12



万松通本町差点で,アーケードのある商店街と交差します。交差点から東側は大須万松寺通り店街,西側は大須観音通り店街です。特に大須万松寺通り店街は,地下街は別にして,名古屋市内でもっとも賑やかな商店街といわれています。写真は大須万松寺通り店街ゲートです。
 美濃路本町通り商店街は,ここまでの大須本通り店街から,門前町通り店街に代わります。歩道の屋根がぐっと変わります。

 地図 F → 2021-12



万松寺通本町差点から大須観音通り店街に入ってすぐ右北)折れると,那古野山公園トイレがあります。
 地図



美濃路本町通り仁王門通本町差点で,再びアーケードのある商店街と交差します。交差点から東側は大須東仁王門通り店街,西側は大須仁王門り店街です。写真は大須仁王門り店街ゲートです。

 地図 G ← 2021-12

 大須仁王門り店街に入ってすぐのところです。この商店街も賑やかです。

 2021-12



 大須仁王門り店街アーケードを出た先にとよばれている大須観音山門があります。

 地図 H ↑ 2021-12

 山門から入って見た大須観音境内です。

 大須観音は,12世紀の終わりごろ,尾張国中島郡長岡庄大須郷現在は岐阜県桑原町大須建立された中島観音堂がはじまりだといわれいます。やがてには貴重な古文書などがたくさん保管されるようになりましたが,水害による損失をたびたび受け,特に慶長10年1605年)木曽川の氾濫は著しく,多くの建物が流失しました。これを見かねた徳川家康は,慶長17年1612年)現在の地に移して復興させました。清須越のころです。
 この地では大須観音とよばれて親しまれ,美濃路からは門前町が形成されて,たいそう賑わったとのことです。



仁王門のすぐ前にトイレがあります。
 地図



 大須差点に近づいたところに大須店街ゲート美濃路本町通りいでいます。

 地図 I ↙ 2021-12

大須差点で,やや交通量の多い大須通りと交差します。門前町通り店街は,ここでおしまいです。

 地図 J ↙ 2021-12

 大須差点をすぎると道の両側には仏壇店が軒を連ね,街の様子ががらりと変わります。人通りも車の往来も,だいぶ少なくなった感じがします。それでも,歩道の半分以上を占める幅の屋根が設けてあり,都会的な雰囲気をかもしだしています。

 地図 A ↓ 2021-12



 美濃路に面したところに西別院案内看板説明板があります。西に向かう道の正面に西別院が見えます。
 見取絵図には西本願寺と添えてあり,美濃路から参道が続いています。

 地図 B ← 2021-12

 説明板です。




 門前町差点をすぎて,垂井の方を振り返ったところです。歩道の屋根は終わりますが,仏壇具店はまだまだ続きます。

 地図 C ↗ 2021-12



 妙善寺見取絵図にもある古いです。

 地図 D ← 2021-12



妙善寺近くの交差点から南の方を見たところです。この先にも何軒かの仏壇店があります。右手には久しぶりに古民家が建っています。ここで左東)折れて進むと,栄国寺に突き当たります。栄国寺があるあたりは千本松原といわれていて,江戸時代のはじめごろに尾張藩刑場が設けられました。特に2百人を越えるの処刑はすさまじかったといわれています。刑場は,その後,すでに取り上げた清須瑞正寺の近くに移されましたが,処刑された人の供養のために栄国寺が建てられました。栄国寺の境内には切支丹遺蹟博物館があるほか,切支丹の処刑に関するいくつかの遺跡が残されています。
 栄国寺見取絵図にもあります。

 地図 A ↙ 2021-12

 美濃路沿いに久しぶりに見た古民家は,美濃佐商店 酒店です。前を通る美濃路にちなんだ名前でしょうか。隣接する古民家のフェンスに橘町大木戸跡説明板が取り付けてあります。
 説明板に書いてある一対の街路灯は,ここから100mほど先にあります。

 地図 B ↖ 2021-12

 説明板には縦書きで次のように書いてあります。文の折り返しは,現物のとおりではありません。
 橘町大木戸跡
 江戸時代、名古屋の城下には治安のため、辻ごとに木戸が設けられ、なかでも城下に通じる主要な街道の入口には「大木戸」を設け、夜間は閉鎖し城下防衛の役割をはたしていました。名古屋城下には大木戸が三ヶ所あり、赤塚(東区)は下街道、樽屋町(西区)と橘町(中区)は城下の街並みに包まれ南北に縦断する本町通り、宮の熱田より大垣に至る美濃街道(美濃路)に設けられていました。
 この大木戸があった橘町は、名古屋城築城より五十余年後の頃、南寺町として城下の防衛を担った千本松のこの地を、寛文四年甲辰十一月五日(一六六四)尾張藩二代藩主徳川光友侯により「橘町」と命名いただき、平成二十六年(二〇一四)満三百五十年を迎えます。そこで、橘町開町三百五十年を記念して「橘町大木戸」の柱をイメージしたデザインの街路灯を一対設置し、往時この大木戸を通行していった、朝鮮通信使・琉球使節・ゾウや幾多の旅人達に思いを馳せ、地域のランドマークになれば幸甚に存じます。
 なお、『橘町大木戸』の『橘町』の文字は、徳川光友侯の御親筆とされる文字を使わせていただきました。
  平成二十六年十月

   橘町町内会
 一般財団法人
   名古屋瑞竜工芸技術保存振興会



先ほどの説明板にあった,橘町大木戸跡に作られた一対の古風な街路灯です。日章旗が掲げてあります。
 美濃路本町通り,このすぐ先で国道19号線に吸い込まれてしまいます。

 地図 C ↙ 2021-12

 西側の街路灯です。皮肉なことに,そのすぐ背後に強力なLED街路灯がそびえていました。

 名古屋市が設置した大きい説明板が建っています。

 地図 D ↑ 2021-12

 説明板の全体です。陽が照ってきてしまい,上部が暗くなってしまいました。

 説明板の左側です。掲げてある絵橘町 大木戸付近の様子ついては,絵本上雲雀』より 名古屋市博物館所蔵」記載されています。
 QRコードが読み取れないと思いますがなごや歴史探検です。

 説明板の右側です。


 見取絵図明治地図,そして現在の地図から推測すると,橘町の大木戸鉛筆マーク E で示すあたりにあったと考えられます。しかし,こんな大通の中にモニュメントを作ることは不可能ですから,現在の位置に作られたのでしょう。
 地図 E



古渡町差点で,交通量の多い山王通りを渡ります。頭上を通る名古屋高速都心環状線の高架に圧倒されてしまう感じがします。

 地図 F ↓ 2021-12