名古屋市西区区 5

美濃路探訪


最終更新:2022-03-05 スタート:2022-02-11


はじめに

美濃路このような箇所をすると説明などが表示されます。が付いている語句は美濃路探訪」ついてここだけ事典」詳しい説明が書いてあります。


で出現したものは,で閉じます。


見本の画像をすると大きくなり,再びすると元に戻ります。


 から若宮大通本町差点までの美濃路を取り上げます。①〜⑦
 この間の美濃路都市化の影響をもろに受けて,街道の面影は全く残っていません。名古屋宿が置かれていた伝馬町通本町差点に説明板があるだけ,といった状況です。

地図:伏見通から若宮大通までの美濃路
地図:伏見通から若宮大通までの美濃路





日銀前差点の歩道橋から美濃路の方を見たところです。美濃路は,左の建物日本銀行名古屋支店後方を通っています。

 地図 A ↓ 2021-12



 国道19号線伏見通りを越えたところから見た美濃路伝馬町通りす。両側に広めの歩道が設けてあります。自動車は西行の一方通行です。

 地図 B → 2021-12

 垂井に向かう美濃路は,国道19号線によって,行く手をさえぎられます。この先に進むためには,国道に出たところで,右北)約85mのところにある歩道橋か,左南)約80mのところにある横断歩道を渡ることになります。

 地図 C ← 2021-12



交差した長者町通りです。ところどころに長者町繊維街書かれたゲートが設けてあります。あたりが繁華街という感じになってきました。

 地図 D ↑ 2021-12



伝馬町通りは,この伝馬町通本町差点で,江戸時代から明治時代にかけて名古屋メインストリートであった本町通りと交差します。そして美濃路は右に折れて本町通りを通ります。

 地図 A ↘ 2021-12


 伝馬町通本町差点は,今では都会の中にあるごくありふれた交差点ですが,江戸時代はとても大切な場所でした。熱田から名古屋城に向かう街道から,西に垂井の方に向かう美濃路,東に信州の方に向かう飯田街道が分岐する交通の要点でした。交差点の南西角には伝馬会所,北西角には飛脚会所,そして南東角には高札場が置かれていました。そいうこともあって,このあたりは札の辻といわれていました。


 交差点の北西角に,ここはかつて名古屋の中心ともいえる要所であったことを伝える説明板が設置されています。

 地図 B ↗ 2021-12


 この絵は,北西の高所から見下ろしたように描いてあります。交差点と伝馬町通りとの間に,道幅いっぱいに石が並べられていますが,そこには悪水抜といわれた排水路が通っていました。人や荷車などの通行の妨げにならないように,並べてある石の上端は道の高さに揃えてあったと考えられます。

 美濃路の各宿には問屋場がありましたが,名古屋宿の場合は,多量の処理を迅速に行うため,人足の手配などに関する仕事は会所文書の伝達は飛脚会所というように,分担しておこなっていたようです。なお見取絵図には,伝馬会所の位置に問屋場と添えてあります。

 見取絵図によると,本町通りから伝馬町通りに折れる美濃路は太い道で描かれていますが,熱田の方から名古屋城の方に向かい,伝馬町通りを通り越して京町通りで左に折れて,五條橋を渡って美濃路に合流する道も,同じ太さで描かれています。2つのコースは同じようによく利用されていたのかもしれません。下の地図の緑線。


 飯田街道は,家康が慶長17年1612年)名古屋岡崎を結ぶ近道として作らせた岡崎街道がはじまりでした。その後平針から分かれて飯田伊那を経て中山道塩尻宿に至る街道がつくられ,伊那街道または飯田街道とよばれていました。明治9年1876年)飯田街道という名称で国に登録され,現在もこの名で親しまれています。国道153号線が,おおよそ飯田街道のルートを通っています。

 伝馬町通本町差点で右南)折れて,本町通りに入りました。

 地図 C ↓ 2021-12

 垂井に向かう美濃路は,この先の伝馬町通本町差点で左西)折れて,伝馬町通りを通ります。

 地図 D ↑ 2021-12



錦通本町」交差点で左東)折れて交差点の北東角から錦通りを50mあまり進んだところに,蒲焼町書かれた看板があります。

 地図 E → 2021-12


 8年前の秋,たまたま通りかかってこの看板を見つけ写真を撮りましたが,蒲焼町について,特に調べはしませんでした。ところが,見取絵図蒲焼町通りと添えた通りがあることに気が付き,看板のことを思い出しました。広小路廣小路)と添えてある太い道が,西は長者町通り,東は久屋町通りと添えてある道までの短い道であるのに対して,蒲焼町通りは,久屋町通りを越えて東に延び,堀川に掛けた橋を渡ってさらに西へ続いています。現在の地図と照らし合わせたところ,蒲焼町通り錦通りという名称に変わったことがわかりました。いつ変わったのかはまだ調べていませんが,昭和32年1957年)名古屋栄町間で開業した地下鉄を蒲焼町通りの下を通すことになって,道を拡張したころではないかと思われます。名古屋駅前から出発する大通りの名前が蒲焼町通りでは,ちょっと恥ずかしい。でも思われたのでしょうか。ユニークですばらしい歴史的な名前がなくなってしまったことは,非常に残念です。



 美濃路本町通り広小路本町差点で,昔からの目抜き通りである広小を横断します。見取絵図によると,広小路の両側の本町通り木戸が設けてあります。

 地図 F ↙ 2021-12

広小路本町差点の南東角に名古屋市道路元標が建っていて,その横に説明板が設置されています。

 地図 G 2021-12


道路元標は,各市町村の中心といえる場所に設置されたので,当時はここが名古屋市の中心としてふさわしい場所だったのではないかと思われます。



◎「白川通本町差点で右西)折れてすぐの白川公園トイレがあります。
次の若宮大通本町差点で右西)行くと,白川公園の別のトイレがあります。
 地図



 白川通本町差点をすぎた先です。この日は銀杏の黄葉が見事でした。

 地図 A ↓ 2021-12



若宮大通本町差点で,道幅100mの若宮大通りを渡ります。横断歩道がありますが,信号が青になっていっきに渡るためには,軽く駆け足をするほどのスピードが必要です。高架の上を名古屋高速2号東山線が通っています。

 地図 B ↓ 2021-12