光堂橋は一宮市立中島小学校や一宮市立中島保育園のすぐ近くにある古い橋です。橋名は,小学校などがあるあたりの地名が「光堂」であることによると思われます。橋がだいぶ傷んできていることや,狭いことなどから,一宮市は架替の検討をしているようです。
橋名板は
親柱欄干の両端にある柱に取り付けてあって,北から見て右側が「光堂橋」で左側が「昭和三十二年二月架換」,南から見て右側が「ひかりどうはし」で左側が「光堂川」と,それぞれ縦書で書いてあります。
光堂川は,現在は「こうどうがわ」とよんでいますが,橋名板に「ひかりどうはし」と書いてあるように,半世紀ほど前までは「ひかりどうがわ」と言われていたようです。下流にも同名の
光堂橋がありますが,橋名板に「ひかりどうがわ」と書いてあります。
光堂橋付近の地図 Mapion(2016年)より
上流から見た光堂橋です。橋にも橋脚にも,昭和の古さが感じられます。橋は,橋脚のところで折れ曲がったような形をしています。↓2016-04-09
下流から,橋に近づいて見ています。
欄干などが傷んでます。
北の方から橋に近づいたところです。道路にはある歩道が,橋にはありません。欄干が低くて危険なため,内側にフェンスが設置してあります。道路も橋の中央で少し折れて高くなっています。
下流側のフェンスと欄干です。
橋名板橋名,渡る河川等の名称,完成年月などが書いてあるプレートが
親柱欄干の両端にある柱にはめ込まれています。フェンスの一部が曲げてあるのは,子供が親柱に上らないようにするためでしょうか。
南の方から見ています。道路に比べて橋が狭いことがよくわかります。
南から来て右側にある親柱とその付近です。橋名板がありますが,字はかなり読みにくいです。
橋名板は,白い石板に文字を彫ってあります。近づいてよく見ると「ひかりどうはし」と書いてあることがわかります。
橋の上から眺めた上流の光景です。
上流にある次の橋があるあたりに比べて,川幅がかなり広くなっています。
下流です。
写真の上にマウスをのせると,満水期の2015年5月30日に撮った写真に入れ替わります。