光堂橋は,県道133号線「稲沢祖父江線」が通っている橋です。道路は2車線で,両側に非常に狭い
フラット形式の歩道車道との間に高低差がなく高さ15cm(標準)の縁石で仕切った歩道があります。
欄干の代わりに
手摺付のガードレールが設置してあるので簡易的な橋に見えますが,石板に文字を彫り込んだ立派な
橋名板橋名,渡る河川等の名称,完成年月などが書いてあるプレートが埋め込んであります。
1957年に撮影された国土地理院の航空写真によると,この橋の上流は
田中の廃橋まで,下流は
中野橋まで,橋がなかったようです。
橋名板は
地覆橋の両側の少し高くなったところで,縁石ともいいます。の四隅にあって,西から見て右側が「光堂橋」で左側が「光堂川」,東から見て左側が「ひかりどうかわ」で右側が「昭和43年3月改築」と,それぞれ横書で書いてあります。
光堂橋付近の地図 Mapion(2016年)より
上流から見た光堂橋です。
欄干の代わりに
手摺付のガードレールが設置してあります。↓2016-04-05
下流から見ています。2本のパイプのようのものが見えますが,いろいろなものが,光堂川に流れ込んでくるようです。
西の方から橋に近づいたところです。歩道がありますが,非常に狭くて,自転車の走行にはふさわしくありません。
東の方から見ています。
橋の下流側です。ガードレールの
錆が目立ちます。「二級河川 光堂川 Kodo Riv. 愛知県」と表示された道路標識があって,「光堂」は「こうどう」とよんでいます。
石板に文字を彫り込んだ
橋名板橋名,渡る河川等の名称,完成年月などが書いてあるプレートが,
地覆橋の両側の少し高くなったところで,縁石ともいいます。の上に,このようなかたちで埋め込んであります。強い衝撃を受けたようで,割れています。↓2015-04-15
ひらがなの橋名板は,一般に橋名が書いてありますが,この橋の場合は例外で,川の名前が書いてあります。しかも標識とは読み方が異なっていて「光堂」は「ひかりどう」です。上流にも
光堂橋がありますが,読み方は「ひかりどうはし」で,この橋の場合と一致しています。おそらく昔は「ひかりどう」と言っていたと思われます。なぜそれが「こうどう」とよぶようになったか,調べてみる価値がありそうです。
橋の上から上流を眺めた光景です。
川端橋が見えます。↓2016-04-05
下流です。橋の先で,川が少しカーブしています。堤防にポツンと取り残されたように2本の桜の木が並んでいますが,ちょうど満開でした。
満開のサクラと光堂橋です。