新大池橋の下流にある,廃墟となった橋です。かつて橋を通っていたであろう道路は,影もかたちもありません。
大池橋付近の地図 Mapion(2016年)より
廃墟となっていますが,橋のデザインなどから,かつては主要な道路が通っていたはずだと思い,過去の地図を調べてみました。そうしたところ1975年ごろまでは,斜めに通る道路があったことがわかりました
*1*2。また1960年ごろまでは,上流の
池部橋はありましたが,下流にはしばらく橋がなく,次の橋は現在の
三宅川21号橋あたりだったこともわかりました
*1。道路は大塚町と池部町を結んでいたので,両方の町名をとって,橋を「大池橋」と命名したと考えられます。大池橋があったからこそ,上流に架けた新しい橋を
新大池橋と命名したに違いありません。
「稲沢市精図 昭文社 1962年」より
新大池橋から下流を眺めたときに,草が生えている橋のようなものを見つけました。すでに日が暮れかかっていたので,訪問はしませんでした。2012-11-22
2日後に橋のところまで行ってみました。橋は三宅川に対して斜めに架けてあり,橋上は足を踏み入れることも困難なほどに草が生い茂っていました。
親柱欄干の両端にある柱には,
橋名板橋名,渡る河川等の名称,完成年月などが書いてあるプレートがはめ込まれていた跡が残っていました。2012-11-24
かなり古そうですが,欄干のデザインなどからすると,架けた当時は主要道路が通っていたように思われます。橋の後方に見えている建物は稲沢高校です。↓2015-12-22
橋の上には土が積もっていて,川の土手と境目がなく草が茂っています。
廃墟となった大池橋の上流に新大池橋が見えます。
橋上を通る道路が向かっていた池部町の方を見ていますが,道路があった痕跡はまったくわかりません。
同様に大塚の方を見ていますが,やはり道路があった痕跡はわかりません。4つの親柱には,それぞれ橋名板を外された跡があります。
下流から見た大池橋です。鉄筋コンクリート製で,欄干にはきれいなデザインがほどこされています。橋桁のコンクリートが剥がれて鉄筋がむき出しになっているのを見ても,劣化が進んでいることがわかります。