庄内川を渡ったところから,「榎小学校北」交差点までの美濃路を取り上げます。①〜⑦
この間には,常夜灯の模型などが置かれた一郭/屋根神様★が乗っている古民家★/尾州殿茶屋跡/押切の立場★跡などがあります。
① 現在の枇杷島橋を渡ったところです。正面に市町村標識「名古屋市」があり,県道67号線(名古屋祖父江線)の幅が,ここまでの2車線から4車線へと広くなります。
地図 A ↓ 2021-05
このあたりは大がかりな水害対策工事がおこなわれていて,川幅も広げられるため,橋を渡ってすぐ左折する道路は廃止されて通行止となっています。新しい堤防の上,写真のほぼ正面に黒龍神社が見えます。
地図 A ↘ 2021-05
② 黒龍神社は,
中島とよばれていた
「庄内川の中州」
にあった,
中島黒体龍王神社(中島黒體龍王神社)
です。
中島の撤去にともなって昭和28年
(1953年)
に庄内川の堤防上に移転し,さらに堤防等が改修されることになって令和元年
(2019年)
に現在地に再移転しました。
神社の右にある道は,
県道67号線から分かれて
現在の美濃路★に向かう道路,
神社の左にある道は,堤防上にある散策路?です。舗装されていますが,
名鉄の線路に突き当たったところで行き止まりで,ここに戻る以外に出口はないようです。
※地図にある黒龍神社は移転前です。現在は鉛筆マーク C で示したところにあります。
地図 B → 2021-05
黒龍神社の入口に由緒板★が建っています。
2021-05
由緒板の向かって左側に,「枇杷島の歴史を語る会」が設置した,「庄内川枇杷島水斗杭(水見杭)」の説明板が取り付けられています。説明板には,「大雨が降って川の水かさが増えてきたときは水斗杭とよばれた水位計で川の水位を見張り,万が一基準を越えたときは堤防を切って,枇杷島橋の流失を防いだ。」ことなどが書いてあります。
2021-05
③ 当時の美濃路★が庄内川の堤防上でほぼ直角に向きを変えていたあたりから,現在の美濃路★を見下ろしたところです。次に取り上げる「常夜灯の模型などが置かれた一郭」が眼下に見えます。
地図 D ↘ 2021-05
④ 垂井へ向かう当時の美濃路★は,ここから少し進んで堤防を上り,枇杷島橋で庄内川を越えていました。今はここに,美濃路と彫られた標柱★/常夜灯の模型/枇杷島橋や美濃路などの説明板が置かれた一郭がつくられています。
地図 E ↑ 2021-05
2021-05
枇杷島橋についての説明板です。「美濃路でつながる西区」の説明板は,この先ときどき見かけます。
2021-05
青銅板に地図や文字を刻んだ
説明板が,コンクリート製の枠におさめれています。刻みに焼き付けてあった塗料が消えかけているためか,少し読みにくいですが,縦書きで次のように書いてあります。文の折り返しは,現物のとおりではありません。
美濃路
美濃路は、江戸時代に東海道と中山道を結ぶ脇街道として発達したものである。その経路は宮の宿で東海道と分かれて名古屋・清須・稲葉・萩原・起の各宿を経て美濃国に入り、墨俣・大垣を経由して、垂井宿で中山道に合流した。その里程は一四里二四町一五間(約五七キロメートル)といわれ、五街道とともに道中奉行管轄の主要な街道であり、大名行列、朝鮮通信使、琉球王使などのほか、多くの庶民も往来し、にぎわいのある街道であった。
(美濃路の地図)
枇杷島橋
枇杷島橋は、美濃路と庄内川の交差するこのあたりに架けられたが、その年は慶長十三年(一六〇八)とするものと元和八年(一六二二)とするものの二説がある。
この橋について、『尾張名所図会』は、「国中第一の大橋にして、東西に二橋を架せり。大橋長さ七十二間、小橋二十七間、杭・桁・梁・高欄其他に至るまで、更に他の雑木を交へず、みな桧材を用ひて、結構の善美、人の目を驚せり。又両橋の間に中島とて、南北六町ばかり川中へ墾出す。」と記している。
師長伝説
治承三年(一一七九)時の太政大臣藤原師長は、平清盛のため尾張国井戸田に流された。師長は、村長横江氏の娘を寵愛したが、後に赦されて都に帰るとき、形見に守本尊の薬師如来と白菊の琵琶を残した。しかし、娘は別れを悲しみ、ついに世をはななみ、「四つの緒の 調べも絶えて 三瀬川沈み果てぬと 君につたへよ」と琵琶の甲に書きつけ、入水した。その跡を琵琶池といい、処の者が亡骸と琵琶とを埋め、それより琵琶島と名づくという伝承がある。
平成七年三月 名古屋市
※置かれている「常夜灯の模型」についての説明が見当たりません。以前あった説明板には書いてあったかもしれません。
堤防の前から熱田の方を見たところです。美濃路はこの先,中区橘で国道19号線に合流するまでは普通の道★で,ここから2kmあまりは,このような幅でほぼ直進しています。
地図 E ↘ 2021-05
名鉄の「市道江川枇杷島線架道橋★」をくぐります。
地図 F ↘ 2021-12
庄内川の堤防を下りたところから,現在の美濃路★には,このような街路灯が設置されていて,その支柱には美濃路の道しるべ★のステッカーが貼り付けてあります。この街路灯は,「美濃路でつながる西区」の説明板と共に,平成30年度(2018年度)の文化芸術振興費補助金を受けた「なごや歴史文化活用協議会(西区役所)」が設置しました。
地図 G → 2021-12
清音寺は見取絵図★にもある古い寺です。
地図 H ↗ 2021-05
正面に
御嶽開山覚明行者剃髪道場旧跡(覺明行者剃髪道場舊跡)と彫られた
標柱★が建っています。
覚明は,
江戸時代に
御嶽山を
開山した
行者です。右手に
清音寺についての
説明板があって,縦書きで次のように書いてあります。
清 音 寺
曹洞宗。治承三年(一一七九)時の
太政大臣藤原師長は、平清盛のた
め尾張国井戸田に流された。師長
は、村長横江氏の娘を寵愛したが、
後に赦されて都に帰るとき、形見
に守本尊の薬師如来と白菊の琵琶
を残した。しかし、娘は別れを悲
しみ、ここで身を投じたという。
その後この地を琵琶島と名付け、
娘の菩提を弔うためこの寺を建立
した。寺号の清音寺は娘の法号清
音院からとられている。
名古屋市教育委員会
古民家★を使って営業していると思われる泰平旅館の手前に,西源寺への参道があって寺標★が建っています。西源寺は見取絵図★にもある古い寺です。
地図 I ↓ 2021-05
美濃路から八幡社へ続く参道があって,奥に鳥居などが見えます。
見取絵図★では3つの神社が並んでいて,八幡宮/神明/天王と添えてあります。
地図 J ↑ 2021-05
⑤ 古民家★の屋根に,屋根神様★がのっています。その下に説明板があります。
地図 K ↗ 2021-05
説明板には縦書きで次のように書いてあります。すでに取り上げた,
清須市にある
「お休み処茶庵」
の説明板と,同じ内容です。文の折り返しは,現物のとおりではありません。
屋根神様
屋根神様にはたいてい三つの神社のお札を祭っている。大部分は津島神社・秋葉神社・熱田神宮の三社で、熱田神宮が地元の氏神に替わることもある。
それぞれ疫病除け、火難除け、武運長久祈願といった意味が込められている。
屋根神様は、名古屋を中心に尾張に広まった信仰だが、戦後は次第に取り壊され、今では数えるほどしか残っていない。美濃路など古い街道筋で当時の面影を偲ぶことができる。
美濃路まちづくり推進協議会
⑥ 惣兵衛川とよばれていた庄内用水を,惣兵衛橋で渡ります。
見取絵図★には,惣兵衞川石橋と添えてあります。その当時の美濃路は,惣兵衞川までは枇杷島村,川を渡った後は押切村を通っていました。
地図 A → 2021-05
惣兵衛は「そうべえ」と読むのが一般的ですが,惣兵衛橋の親柱★には「そうべいはし」と彫られています。「衛」に「え」という読みはあるけど,「い」という読みはないことと,「そうべい」より「そうべえ」の方が言いやすいので,不思議です。煎餅を,訛って「せんべえ」と言うように,逆ならありそうですが。
惣兵衛橋の上から,上流側を見たところです。暗渠★の上に小公園が造られ,ベンチが置かれています。
地図 B ↗ 2021-05
惣兵衞橋を渡ったところで垂井の方を見たところです。建設中のネットが張ってあるあたりに,見取絵図★には門を構えた格式高い施設が描かれ,尾州殿茶屋と添えてあります。
地図 C ← 2021-05
尾州殿茶屋は,大名など公の旅行者が休憩するところとして,尾張藩が用意した施設だと考えられます。いくつかの資料には「ここで尾張藩の要人を接待したのであろう。」というよう書いてありますが,それならば尾州茶屋でよいわけで,わざわざ「殿」を付けたのは,施設を用意した尾張藩に対する敬意の現れだと思います。ちなみに尾州は尾張国のことで,信濃国を信州などといったのと同じです。
手前3車線,反対側4車線の国道22号線(名岐国道)を横断します。
地図 D → 2021-05
見取絵図★によると,このたりを通る美濃路の左側(北側)に押切の立場★がありました。そのあたりを見ていますが,何も残っていません。
地図 E → 2021-05
八坂神社は,見取絵図★では神明と添えてあります。
地図 F ↗ 2021-05
町屋を思わせる古民家★が並んでいます。
地図 G ↘ 2021-05
和菓子屋さん「清光園菓舗」の看板が,美濃路の雰囲気をかもしだしています。
隣接していた建物が取り壊された跡が残っている外壁に,「美濃路でつながる西区」の説明板が取り付けてあります。
地図 A ↙ 2021-12
2021-12
ラムネ菓子「クッピーラムネ」で知られる「カクダイ製菓」の手前に,古民家★が並んでいます。
地図 B → 2021-05
⑦ 高いところからたくさんの葉がせり出している建物が気になりました。「榎小学校北」交差点を渡って振り返って見たら,建物は「お食事処 味波 押切店」でした。店の3階に,「窓の外に木々が見える」という,しゃれた部屋があるのかもしれません。
地図 C → 2021-12