新東海道線ノート 第三集
1962年1月8日〜5月24日
鉄道の部屋/こひつじの家
1962年1月8日(月)
1962年1月20日(土)
(153) | ハリスガム小田原工場の近くから工事中の新酒匂川鉄橋を見た。
地図は2月15日
ハリスガムは1964年に鐘淵紡績[かねがふちぼうせき]に買収されて「カネボウハリス」となり,2007年11月現在は「クラシエフーズ」である.
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(154) | ロングレールとするためのレールの溶接作業がおこなわれていた。後方には25mレールを2本つないだ50mレールが枕木に固定されて積んであった。
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(155) | 溶接をしているところで,火花が見えている。 |
(156) | 線路を溶接した部分にはみだした鉄の突起を,バーナーで溶かしながら吹き飛ばしていた。
鴨宮基地に広軌の小型ディーゼル機関車が来ていた。 参照(219) |
(157) | 枕木に締結されたレール。締結部分を下図に示した。レールと枕木の間にはゴム板が敷いてあり,レールはスプリング金具を使ってボルトで枕木に固定する。スプリング金具と枕木の間にはポリエステル製のクッションが入れてある。 |
(158) | 鴨宮から飯泉方面へ行く道路に架かる橋付近でおこなわれていた工事の様子。 |
1962年1月27日(土)
(159)
(160)
(159) | 酒匂堰[さかわせぎ]に架ける橋桁を設置する工事のために,川の中にも木製の杭が打ち込まれていた。地図は1月8日 |
(160) | 新酒匂川鉄橋の工事を電車の窓からガラス越しに写した。地図は2月15日 |
1962年2月4日(日)
新酒匂川鉄橋に架けている橋桁は3基目に入った。
1962年2月6日(火)
鴨宮基地に作っている車両工場の,建物の建設が始まった。
1962年2月13日(火)
1962年2月14日(水)
1962年2月15日(木)
(165) | 新酒匂川鉄橋では3基目の橋桁を作る工事がおこなわれていた。1基目の橋桁は工事用の支柱を設けて作っていたが,2基目からは支柱なしでおこなっていた。
東海道線の酒匂川鉄橋は各トラスが独立した「単純トラス橋」だったが,新酒匂川鉄橋はトラスを連ねた「連続トラス橋」である。
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(166) | 工事をしているところを下から見上げた。太陽をトラスで遮るようにして写した。 |
(167) | 酒匂川の大阪側路盤まで登って,工事中の新酒匂川鉄橋を見た。
下の左図はトラスを組み立てるために使われていたリベットのほぼ実物大の図である。実際の長さは86mmであった。 |
1962年2月20日(火)
(168)
(168) | 1週間前に崩れ落ちた橋桁を作り直す作業がおこなわれていた。以前に比べて支柱の本数が多く,特に斜めの支柱が足りさん使ってあるように思った。
参照(161),(162),(82) 地図は2月13日 |
1962年2月21日(水)
(169)
(170)
(169) | 菊川と巡礼街道の間には,ちょっと変わった形の橋脚が作られていた。 |
(170) | 巡礼街道の車道と歩道の間に建っている鋼管支柱の底部。
参照(146),(138) 地図は1月8日
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1962年2月22日(木)
1962年3月5日(月)
(172)
(173)
(174)
(175)
(176)
(172) | 大同毛織付近の高架橋の下に,コンクリート道床用の木製枕木が積んであった。 |
(173) | 盛土部分の擁壁。このあたりから弁天山トンネルまでは,ほとんどが盛土区間となっている。 |
(174) | 架線用の鋼管電柱がコンクリート台座に仮止めして建ててあった。鋼管電柱は鮮やかな朱色に塗られていた。 |
(175) | 盛土区間にコンクリート製電柱を設置する作業がおこなわれていた。 |
(176) | 盛土部分の路肩に,何かを置くためのコンクリート製の台が設置されていた。
参照(231) |
1962年3月7日(水)
1962年3月13日(火)
(179)
(179) | コンクリート製電柱にブラケットが取り付けてあった。 地図は3月7日 |
1962年3月15日(木)
(183)
(184)
(185)
(186)
(187)
(188)
(183) | ゲート近くまで自動車で来た出席者は,ここから歩いて会場へ向かった。 |
(184) | 起工式で十河国鉄総裁が建てた電柱。 |
(185)〜(188) 式会場に展示してあったパネル。
(189)
(189) | 大同毛織の敷地内にある高架橋の上ではコンクリート道床の工事がおこなわれていた。レールには写真(172)にあった短い枕木が取り付けられ,生コンクリートを流し込んで枕木ごと固定してしまうというものだ。 地図は3月5日 |
1962年3月18日(日)
(190)
(190) | 高架橋の南側にある工事用道路に,酒匂堰に架ける橋桁用の鉄材が置いてあった。それぞれが5トン以上もあるようだ。 地図は1月8日 |
1962年3月31日(土)
(191)
(191) | 大同毛織敷地内のコンクリート道床。コンクリートは固まっているようだが,レールはまだ固定されていなかった。東京方から大阪方を見た高架橋上面の断面は下図に示すようになっていた。単位はcm。 地図は3月5日
枕木を所定の位置でコンクリートに埋め込むためにレールを取り付けていたが,枕木が固定された段階でレールを一旦外し,再び正しい位置に固定したものと思われる。 |
(192) | 御殿場線などをまたぐコンクリート橋梁の上。橋の上に敷いてある線路は資材運搬用。御殿場線をディーゼルカーが走っていた。 |
(193) | 橋の上ではコンクリートの上にモルタルを張る作業がおこなわれていた。 |
(194) | コンクリート橋の東京方の終端付近から御殿場線の方を見た。 |
1962年4月7日(土)
(196) | 鴨宮基地にレール敷設用の鉄道車両(広軌)の台車部分が来ていた。その車両はディーゼルエンジンを備えていて,写真に示すように電動で走行できるようになっていた。 |
(197) | レール敷設用車両を組み立てるために,クレーン車が来ていた。
地図は3月7日
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(198) | 鴨宮基地から東京方に500mほどのところに,線路の状態を調べて修正するスイス製の作業車両が来ていて,ふたりの外国人が使用法などについて説明していた。その作業車両はディーゼルエンジンを備えていて自力走行ができる。 |
1962年4月9日(月)
(199) | 鴨宮基地でレール敷設車両の組立が始まった。クレーン車で側板を吊り上げる準備をしているところ。 |
(200) | クレーンで吊り下げた側板を台車部分に押し付けているところ。 |
(201) | 両側の側板が取り付けられた。
クレーン車は隣の線路上にいる。後方の建物は車両工場。
地図は3月7日 |
(202)
(202) | ホッパー車を使って大同毛織敷地内を通る高架橋の上り線にバラストを敷く作業がおこなわれていた。 地図は4月7日 |
1962年4月15日(日)
1962年4月17日(火)
(205)
(206)
(205) | 写真(203)の橋桁は,ほぼできあがっていた。ただしリベットではなく,ボルトで仮止してあるようだった。 |
(206) | 橋桁を高架橋の上から見た。枕木を設置するための金具が並んでいる。
地図は4月15日 |
(207) | 弁天山トンネルの大阪方入口。トンネルの手前55mほどの位置から写した。 |
(208) | トンネルへ入ったところ。トンネルの天井部分には,架線を支えるためのブラケットを取り付けるための器具が取り付けられていた。 |
(209) | 弁天山トンネル内の東京方入口から600mの地点。トンネルの長さは1,316mだから,ほぼ中央付近ということになる。 |
(210) | 弁天山トンネル内の東京方入口から80mの地点。 |
(211) | 弁天山トンネルの東京方入口付近。トンネルから130mほどの所から写した。 |
(212) | 弁天山トンネルの次の短いトンネルを抜けて出たところから東京方を見た。右にゆるくカーブしている。 |
(213)
(214)
(213) | 押切川付近の低地を渡る鉄橋。橋桁を架ける工事がおこなわれていた。 |
(214) | 押切川をすぎて短いトンネルを通り抜けた先に工事中のトンネルがあった。工事中のトンネルの50mほど手前でこの写真を撮って引き返した。
短いトンネルは長さ115mの開戸トンネル,工事中だったトンネルは長さ507mの借宿トンネル. |
1962年4月21日(土)
(215)
(215) | 自宅二階の窓から,150mm反射望遠鏡にカメラを取り付けて撮影した弁天山トンネル付近の工事現場。左の方に門型クレーンが並んでいるのが見える。 |
(216)
(217)
(216) | レール敷設車両が完成していた。枕木を取り付けたレールを吊り下げて,上の長いアームに沿って移動させることができる。 |
(217) | 大阪方から架設を始めた新酒匂川鉄橋の橋桁が東京方に届いていた。手前の方の橋桁にはまだリベットが打ってなかった。
地図は3月7日 |
1962年4月24日(火)
(218)
(218) | 大同毛織付近でおこなわれていた下り線の橋桁架設工事がほぼ完了していた。橋桁の右側には歩道と手摺が設置されている。上り線用のプレートガーダーが高架橋上に立ててあるのが見える。この橋より手前大阪方はバラスト軌道,東京方はコンクリート軌道となっている。 地図は4月15日 |
1962年4月27日(金)
(219)
(219) | バラストを運搬するホッパー車と牽引する小型ディーゼル機関車が上り線上で休んでいた。上下の渡り線が少し見えている。この場所はコンクリート橋の上になる。 地図は4月7日 |
1962年5月2日(水)
(220)
(220) | 酒匂堰に架ける下り線用の橋桁の組立が盛土部分の上でおこなわれていた。この付近から大阪方はカーブになるので,山側が少し高くなるように作られている。上り線は仮の橋桁が架けてあった。写真(159)の杭は,仮の橋桁を支えるために使われる橋脚用だった。 地図は4月7日 |
1962年5月16日(水)
(221)
(222)
(221) | 大同毛織の敷地内に作られていたコンクリート製造施設の,解体作業が始まっていた。 地図は4月15日 |
(222) | 酒匂堰に架けた下り線用の橋桁の上には金網が敷かれ,モルタルを張る作業がおこなわれていた。大同毛織付近の橋桁(写真206)とは違って,バラスト道床にするようである。 地図は4月7日 参照(220) |
1962年5月19日(土)
1962年5月22日(火)