新東海道線ノート 第二集
1961年5月18日〜12月30日
鉄道の部屋/こひつじの家
1961年5月18日(木)
1961年6月2日(金)
(79) | 高架橋とほぼ同じ6mの高さがある社宅(A号社宅)の屋上から,大同毛織敷地内を通る高架橋を見た。女子寄宿舎の後方に大東製紙の煙突が見える。 |
(80) | 同じ高架橋の左の続きを見た。この付近ではスラブ軌道が採用されるとのことである。後方に大同毛織の男子寄宿舎(二階建)や女子寄宿舎(三階建)それに円形の食堂などが見える。 |
(81) | A号社宅の屋上から西の方を見た。たんぼの中に道路ができていてコンクリートパイルが置いてあった。写真の中央遠方に仮の高圧線鉄塔が見える。 |
1961年6月11日(日)
(82) | 大同毛織敷地北東部の高架橋工事。鉄筋が組み立てられているところまでが大同の敷地内。 |
(83) | 社宅に近い部分の高架橋。 参照(80) |
(74) | B号社宅のすぐ西側では工事のために用水がせき止められて流れを変えてあった。社宅に出入するための仮橋から撮影した。 |
1961年7月2日(日)
(85)
(85) 大同毛織の敷地内を通る高架橋を真下から見上げた。
撮影場所は(83)の近く
1961年7月8日(土)
(86) 盛土となる区間に土が積み上げられていた。
(87) 御殿場線に近い部分に作られた橋脚群。手前は盛土区間。
(88) 御殿場線と立体交差する部分の橋脚と橋台。
1961年7月12日(水)
(89)
(90)
(89) 大同毛織敷地内北東端付近の高架橋を女子寄宿舎の屋上から見た。
(90) 同じく,その右手の方を見た。
参照(11),(12),(82)
1961年7月15日(土)
(91) | 橋脚が揃った新酒匂川鉄橋を小田原側から見た。東海道線の酒匂川鉄橋を153系の急行が通過している。 |
(92) | 酒匂川の小田原方にできたコンクリート橋の上部。東海道線から見えるように設置されていた富士フィルムの広告が,新東海道線の工事で見えなくなってしまったようだ。
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(93) | 富士フィルム小田原工場に面したところにコンクリートの擁壁を作っていた。手前(南側)は盛土となる。 |
(94) | 富士フィルムから流れてくる用水を通すための橋。 |
(95) | 富士フィルムと東海道線の間の盛土になるところ。工場側に擁壁用の鉄筋が立っていた。 |
(96) | 山王川に架ける橋のための橋台を作っていた。 |
1961年7月22日(土)
(97) | 鴨宮駅下りホームを通過する東海道線最速151系特急電車「こだま」号。 |
(98) | 小田原駅駅裏では,丘陵を切り崩す作業がおこなわれていた。 |
(99) | 切り崩した土砂をダンプカーに積み込んでいるところ。 |
地図は5月18日
1961年7月25日(火)
(100)
(101)
(102)
(103)
(104)
(100) | 鴨宮駅近くでおこなわれていた橋台の工事。ここから東京方は土地が少し高くなっている。 |
(101) | 盛土部分に作られていた架道橋の橋台。この付近はやや土地が低いために橋台の高さは10mほどはあるように思われる。 |
(102) | 新酒匂川鉄橋の橋脚を東京方から見た。 |
(103) | 小川と小路を跨ぐ高架橋の上から東京方を見た。左側の幅の広い路盤が新東海道線用で,右側は鴨宮駅の方へ向かう線路用 。左の高架下にある建物は明治製菓の工場。 |
(104) | 完成した盛土部分の土手。 |
1961年8月1日(火)
(105) | カルバートボックス(箱型暗渠[あんきょ])の基礎部分。 |
(106) | 高架橋の橋桁を作るときに使う支柱を立てるために,下地を固める作業がおこなわれていた。 |
(107) | 道路や用水が線路と直角に交わっていないために,変わった形の橋脚が作られていた。橋脚を上から見ると下の左図のようになっている。 参照(81),(84) |
1961年8月15日(火)
(108) | 有楽町−新橋間の高架工事現場。 |
(109) | 有楽町−新橋間の東海道線と高速道路との間の狭い空間に作られていた高架橋。左側は高速道路とその下に作られた建物。 |
(110) | 新橋駅近くの高架橋。 |
(111)
(112)
(113)
(114)
(115)
(116)
(117)
(118)
(119)
(120)
(121)
(122)
(111)〜(122) 熱海から早川にかけて,湘南電車の車窓から見た工事の様子。
1961年8月24日(木)
(123)
(123) | 大同毛織の社宅付近から西の方に延びる工事中の高架橋。 地図は8月1日 |
1961年9月14日(木)
(124)〜(126) 掘削工事が始まって間もない小峰トンネルの入口付近。 |
| 小峰トンネルは東京方入口が小田原駅のすぐ近くにある延長777mのトンネル。下の左図のように,まずトンネルの上部を掘ってから掘削機械で掘り下げていくとのこと。斜面の土が崩れてこないように土嚢[どのう]が積んであった。 |
1961年9月15日(金)
1961年10月4日(水)
(128)
(128) | 小峰トンネル東京方入口の工事現場。トロッコで運んできたずりをここでトラックに載せていた。 地図は9月14日 |
1961年10月26日(木)
新酒匂川鉄橋を組み立てるための鉄材が運ばれてきていた。
1961年10月31日(火)
(129)
(129) | 巡礼街道をまたぐ橋の橋台を作るための穴掘り作業がおこなわれていた。 地図は9月15日 |
1961年11月3日(金)
(130)
(131)
(130) | 大同毛織社宅の西側を通る道路に架かる橋の大阪方の橋台。写真(107)の東京方橋台と対になっている。 地図は8月1日 |
(131) | 盛土区間にある小川に架かる橋。 |
(132)
(132) | 盛土区間に設けられるコンクリート擁壁のための鉄筋が組み立てられていた。この部分の盛土は図のような断面になる。 |
1961年12月4日(月)
1961年12月13日(水)
新酒匂川鉄橋の橋桁を大阪方から架け始めた。
1961年12月15日(金)
(139) | 橋桁の架設工事が始まった新酒匂川鉄橋を電車の窓からガラス越しに写した。
地図は7月15日 |
(140) | 架道橋に橋桁を架ける工事をしていた。橋桁は写真(141)にもあるような断面がI字形をした鉄材をたくさん並べて作っていた。
ここの橋台は新幹線に対して通常の向きに作られていて,道路に対して平行になっていない。 |
(141) | A号社宅の横にある空き地に橋桁用の鉄材が置いてあった。 |
1961年12月23日(土)
(142)
(142) | 小峰トンネルの入口付近に生コンクリートに圧力を架けてパイプで送り込む機械があって稼働していた。
地図は9月14日 |
1961年12月29日(金)
1961年12月30日(土)
(147)
(148)
(147) | 大同毛織から弁天山へ向かって延びる盛土の路盤。 |
(148) | 盛土区間が終わったところから,河川や御殿場線をまたぐ橋梁の方を見た。橋の東京方ではPSコンクリート製の橋桁を架ける工事がおこなわれていた。写真(134)と同じ場所から撮影した。
地図は11月3日 |
(149)
(150)
(149) | 新酒匂川鉄橋のトラス部分が姿を現した。橋桁は仮の橋脚の上で,リベットではなく,ボルトとナットを使って組み立てられていた。 |
(150) | 小田原駅と酒匂川の間でおこなわれていた工事。右側は東海道線。
地図は7月15日 |