いいだせん
JR飯田線
 
こひつじの家・鉄道の部屋
 

 内容 : 飯田線の概要と歴史

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 飯田線のあらまし

 東海道本線の豊橋駅(愛知県)を起点に,中央本線の辰野駅(長野県上伊那郡辰野町)に至る全長195.8kmの電化路線で,豊橋−豊川〈とよかわ〉(愛知県豊川市)間8.7kmだけが複線化されている。もともとは豊川鉄道,鳳来寺鉄道,三信鉄道,伊那電気鉄道という4社の私鉄路線として開設された。その後国に買収されて国鉄飯田線となり,現在はJR東海の所有路線となっている。私鉄であったことを物語るように両端を含めて94駅もあり,山間部を貫くローカル線であるにもかかわらず,駅間平均距離が2.1kmと非常に短い。なお辰野はJR東日本の管轄駅である。

 豊橋駅から小坂井駅の手前(旧平井信号場)までの3.8kmは,名鉄名古屋本線と線路を共用するという珍しい路線となっている。この状態は豊川鉄道と愛知電気鉄道(現在は名鉄)の時代から続いていて,現在は下り線をJR東海,上り線を名鉄が所有している。

 豊橋から出発すると三河川合(愛知県南設楽郡鳳来〈みなみしたらぐんほうらい〉町)あたりまでは豊川〈とよがわ〉水系をさかのぼっていき,東栄(北設楽郡東栄町)から終点の辰野まではほぼ天竜川に沿って進む。車窓からは渓流や中央アルプス,南アルプスの山々が眺められる。

 ダイヤは豊橋−飯田間2往復の特急以外は普通列車で,豊橋−豊川間は1時間に4本,新城までは約2本,本長篠(南設楽郡鳳来町)までは約1本,それより先は2時間に1本と少なくなる。天竜峡(長野県飯田市)から下り方面は辰野を通って中央本線の岡谷(長野県岡谷市)まで,1時間に1本ほど運行されている。


 飯田線の生い立ち

1897(明治30), 7,15
・豊川鉄道の吉田(現在の豊橋)−豊川(愛知県豊川市)間が開業した。

1898(明治31), 4,25  豊川鉄道の一ノ宮(現在は三河一宮.愛知県宝飯郡一宮町)−新城(愛知県新城市)間が開業した。

1900(明治33), 9,23
・豊川鉄道の豊川−大海〈おおみ〉(新城市)間が開業した。

1923(大正12), 2, 1
・鳳来寺鉄道の長篠(現在は大海)−三河川合間が開業した。

1925(大正14), 7
・豊川鉄道が電化された。

1926(大正15), 4
・愛知電気鉄道(現在は名鉄)の神宮前駅(名古屋市)−豊川鉄道小坂井駅(宝飯郡小坂井町)間が開通した。それとともに愛知電気鉄道は小坂井−豊川間に線路を1本増設し,豊川鉄道と共用することによって同区間が複線化された。

1927(昭和2), 6, 1
・愛知電気鉄道が小坂井−吉田間に線路を1本増設し,豊川鉄道と共用することによって同区間が複線化された。

1927(昭和2),12,26
・伊那電気鉄道の天竜峡−辰野間が開業した。

1937(昭和12), 8,20
・三信鉄道の三河川合−天竜峡間が開通し,吉田−辰野間がレールで結ばれた。

1942(昭和17), 5
・豊川海軍工廠〈こうしょう〉への通勤や物資輸送用に,豊川−西豊川間2.4kmの西豊川支線が開業した。

1943(昭和18), 8, 1
・4つの私鉄路線が国有化され,西豊川支線とともに国鉄飯田線となった。吉田駅は国鉄豊橋駅に吸収された。

1952(昭和27),11,11
・天竜川に佐久間ダムが建設されることになり,中部天竜(静岡県磐田郡佐久間町)〜大嵐〈おおぞれ〉(磐田郡水窪〈みさくぼ〉町)駅間を大きく東に迂回する路線に変更した。それに伴い旧線の3駅が廃止され,新線に4駅が節された。

1956(昭和31), 9,15
・西豊川支線の営業が廃止された。

1983(昭和58), 2,14
・飯田線専用の119系電車が投入された。

1987(昭和62), 3,28
・「トロッコフアミリー号」の運転が開始された。

1991(平成3), 4,21
・中部天竜駅構内にJR東海が運営する「佐久間レールパーク」が完成した。

1996(平成8), 3,16
373系電車による飯田線初の特急「伊那路」が登場した。