光堂川に架かる高木橋から,稲沢市との市境までの美濃路を取り上げます。①〜⑩
この間の美濃路は大半が松並木で,途中2箇所に少しだけ家並がありました。ここでも松並木があったところは道が拡幅され,家並があったところは狭いままですが,街道の面影★はほとんど残っていません。美濃路に関する史跡も見当たりません。
① 高木橋を渡るとまず左側に,そしてすぐ右側にも歩道が付いて道幅が広くなります。
見取絵図★では橋を渡った先から松並木になりますが,明治地図★では現在と同じように,左右に少しだけ家屋があってから松並木が続いています。
地図 A ↘ 2021-08
② 斜め左に分岐する道の手前に白山社跡と彫られた標柱★があります。
白山社は見取絵図★に描かれていますが,大正6年(1917年)に,あとで取り上げる中嶋宮に合祀★され,跡地にはこのような標柱が設置されました。
地図 B ↘ 2021-08
2021-08
③ この先,まず右側の歩道がなくなり,やがて左側の歩道もなくなるというように,段階的に道幅が狭くなっていきます。
地図 C ↘ 2021-08
地図にある「往還」には街道という意味があります。「往還」や,その先にある「往還北」は,美濃路に因んでつけた地名だと思われます。
地図
④ この先からは道幅がぐっと狭くなります。
見取絵図★にも明治地図★にも,道幅が狭くなっている100m余りの間には,家並があります。
地図 D ↘ 2021-08
⑤ この先から道が広くなって,両側に歩道が付きます。
見取絵図★でも明治地図★でも,このあたりで家並が終わって松並木になっています。
地図 A ↘ 2021-08
垂井に向かう美濃路は,この先で道幅が急に狭くなります。
地図 B ↖ 2021-09
⑥ 明治地図★では,このあたりで左側(北側)の松並木が終わって家並がが続き,右側(南側)は,まもなく美濃路が右に折れるところまで松並木が続いています。
美濃路に面したところに社標★があって,中嶋宮に向かう参道が,ほぼまっすぐ北に向かっています。
社標の正面は中嶋宮ですが,向かって左側には元八劍社と彫ってあります。実は八剱社(八劍社)が中嶋宮とよばれるようになったのも,参道が美濃路まで延長されたのも昭和になってからです。社標の右側に昭和八年八月とあるのも参考になりそうです。
地図 C ↑ 2020-12
参道を進んでいったところに,再び社標などが建っています。正面にはこんもりとした森が見えますが,中嶋宮は主に正面から左側(西側)にあって,右側には長隆寺があります。
見取絵図★にも神社と寺が並んで描かれていて,それぞれ八劍社と長龍寺が添えてあります。
地図 D ↑ 2020-12
社標の文字が八劍社であることや,明治地図★では,このあたりで参道が終わって,その前をほぼ東西に通る道が存在していたことから,ここにある社標/灯籠/鳥居などは昔からこの場所にあったと思われます。
中嶋宮の境内に入ってすぐ左側に,「中嶋宮(旧八剱社)の由来」という説明板があります。先に取り上げた白山社など,旧中嶋村にあった他の6神社を八剱社に合祀★した記録も,地図を添えて詳しく書いてあります。
地図 E 2020-12
よく調べて書いてあることはもちろん,一般的ではない固有名詞にはしっかりとルビが振ってあることといい,非常によくできた説明板だと思います。
⑦ 十字路をすぎると,両側にあった歩道がなくなって道幅が狭くなります。
地図 A ↘ 2021-08
⑧ 美濃路はここで右に折れます。
地図 B ↘ 2021-08
右に折れるところで立ち止まって北の方を見ると,古風な門と塀があります。
地図 C ↗ 2021-08
右に折れた先です。道幅がかなり狭くなりましたが,これでも県道136号線です。
見取絵図★にも明治地図★にも,狭くなっているあたりは道の両側に少し家があります。
地図 D ↓ 2021-08
垂井に向かう美濃路はここで左に折れます。
地図 E ↑ 2021-09
⑨ この先から道幅が広くなってセンターラインが引いてあります。
明治地図★では,道幅が広くなったあたりから先は松並木です。
地図 F ↓ 2021-08
垂井に向かう美濃路はこの先で道幅が半分ほどになります。
地図 G ↑ 2021-09
⑩ 美濃路は,交差点をすぎるとセンターラインがなくなり,道幅が狭くなり,ガードレールを備えた目立たない橋を渡って稲沢市に入ります。
地図 H ↓ 2021-09