国道155号線①から高木の一里塚跡⑩の手前まで美濃路を歩きます。この間には徳川14代将軍家茂が休息をとった佐藤家の跡⑤などがあります。
このページの見方など
●
見本の画像をすると大きくなり,再びすると元に戻ります。複数の画像を大きくしておくことができます。
●
●
して画面上に出現したものは,すると消えます。
地図:国道155号線から高木の一里塚跡の手前までの美濃路
① 串作交差点をすぎると美濃路は県道513号線(一宮西中野線)になります。
地図上のA点から→ 2021-08
地図
② 見取絵図★や明治地図★では,このあたりで松並木が終わって,串作の集落が始まっています。現在の美濃路★はこのようなところから道幅が狭くなることが多いですが,ここでは変化が見られません。
美濃路はこの先の十字路で右(南)に折れます。
地図上のB点から→ 2021-08
地図
③ 十字路で右(南)に折れた先の美濃路です。美濃路はここから普通の道★になり,道幅が狭くなります。
ます。
明治地図★をみると,ここは十字路ではなく丁字路でした。ここから東に向かう道(現在は県道513号線)は,昭和初期に作られたようです。
地図上のC点から↓ 2021-08
地図
④ 美濃路はこの先の十字路で左(東)に折れます。
地図上のD点から↓ 2021-08
地図
美濃路が左(東)に折れた先です。右側の木造民家の東側に,これから訪れる遺跡佐藤家跡があります。
地図上のE点から→ 2021-08
地図
⑤ 美濃路に面して,コンクリートブロックの塀で囲まれた遺跡佐藤家跡があります。徳川14代将軍家茂が佐藤家で休息をとったといわれています。
地図上のF点から↙ 2021-08
地図
中へ入るところに説明板があります。風で倒れないようにということでしょうか,かなり低い位置です。
2021-08
説明板から,佐藤家が串作村の庄屋であったことがわかりますが,問屋場というのが気になります。この位置にいわゆる問屋場★があったはずはないことと英訳のwholesale storeから,佐藤家は商品の売買に関する問屋を営んでいたと考えられます。というわけで,説明板の問屋場は,問屋の間違いだと思います。
カメラを高く挙げて全体を見渡しました。
説明板にも書いてある憐松軒枝風墳と彫られた碑が,遺跡の中央に建っています。碑の反対側には佐藤利平と彫ってあります。
2021-08
憐松軒枝風墳を何と読んだらよいか,少し調べてみましたがわかりません。そこで勝手にれんしょうけんしふうのはかと読んでみました。憐松軒枝風は佐藤利平の雅号,そして碑の形が記念碑などとは違って墓石に近いことから,墓碑であると考えました。
⑥ 美濃路はこの先の丁字路に突き当たって右(南)に折れます。
地図上のG点から→ 2021-08
地図
美濃路が右(南)に折れた先です。左手に古風な塀,右手に鋸屋根があります。
地図上のH点から↓ 2021-08
地図
垂井に向かう美濃路は,この先の丁字路で左(西)に折れます。
地図上のH点から↑ 2021-09
地図
⑦ ここから美濃路は道幅が少し広くなります。
明治地図★を見ると,串作村の集落がこのあたりで終わって,松並木が始まります。
地図上のI点から↓ 2021-08
地図
⑧ この交差点で右手(西)から来た県道136号線(一宮清須線)が合流し,美濃路は再び県道136号線となって,両側に歩道が付きます。
地図上のJ点から↓ 2021-08
地図
⑨ 旧串作村から旧高木村に入ってすぐ,美濃路に面したところに高木神社(髙木神社)があります。むかしは八剱宮(八劍宮)という名でしたが,大正3年(1914年)に高木村にあったいくつかの神社をここに合祀★したときに,高木神社と改名したとのことです。見取絵図★には八劍宮と書いてあります。
地図上のA点から← 2021-08
地図
熱田に向かって進む