稲沢市 3

美濃路探訪


最終更新:2022-03-05 スタート:2021-06-17


はじめに

美濃路このような箇所をすると説明などが表示されます。が付いている語句は美濃路探訪」ついてここだけ事典」詳しい説明が書いてあります。


で出現したものは,で閉じます。


見本の画像をすると大きくなり,再びすると元に戻ります。


 稲葉宿の本陣跡をすぎたところから,までの美濃路を取り上げます。①〜⑫
 この間の当時の美濃路は,本陣から一里塚までと,長束などに少しの家並があったほかは松並木が続いていました。やがて時代が進んで松並木はなくなり,今は街道の面影がほとんど残っていません。しかしわずかですが,一里塚の跡国府宮の一ノ鳥居の休憩所などで,当時の美濃路をしのぶことができます。

地図:稲葉宿本陣跡から長束までの美濃路
地図:稲葉宿本陣跡から長束までの美濃路





稲葉宿本陣跡を出発して最初の交差点に,風格のある古民家が建っています。10年あまり前までは老舗の酒屋でした。
 見取絵図と照らし合わせると,稲葉宿東の問屋場,この古民家が建っているあたりにあったと思われます。

 地図 A ↖ 2020-12



 このあたりからの集落に入るあたりまで,高度成長期以前には沿道に家屋が建っていませんでした。そのため容易に道路拡張ができたものと思われます。道路には歩道も設置されています。
 写真中央に一里塚の跡説明板が,左に美濃路の道しるべがあります。

 地図 B ↘ 2021-07



建築設計事務所の敷地内,道路に面したフェンスに接するように一里塚跡説明板が立っています。

 地図 C 2021-07

 説明板には縦書きで次のように書いてあります。

沢一塚跡
 江戸時代、東海道と中山道を結
ぶ脇街道である美濃路には、三六
町一里の制度により、一里塚が築
かれた。塚は五間四方の大きさで、
道の両側に築かれ、主に榎が植え
られた。江戸時代の絵図によると
この周辺にあったと推定される。
       稲沢市教育委員会


 上の写真より5ヶ月前の様子です。以前からあった木の札も残っていましたが,字を読むことはできませんでした。

 2021-02


 さらに6年ほど前,説明板が設置されてまもなくのころです。それ以前は右下の稲葉一里塚跡と読める木の札が立っていただけでした。

 2014-12



 ここの一里塚は,稲葉宿家並が終わったところにありました。次の一里塚は,あとで取り上げる追分のすぐ手前にあって,そこから先は家並が続いていました。2つの一里塚が,ちょうど家並松並木の境目にあったというのは偶然かもしれませんが,状況に合わせて一里塚の位置を調節したとも考えられます。ちなみに,前に取り上げた高木の一里からここまでは4.3km,次の一里塚までは4.4kmと,1里約3.9km)り少し長めです。
 見取絵図にはすべての一里塚が記録されていますが,美濃路の両側に描かれた一里塚の絵に一里塚と添えてあるだけですから,固有名称はなかったようです。この一里塚は,稲葉宿のそばにあったから稲葉一里塚よばれたり,ここがだったから小沢一里塚よばれたりするのだと思われます。



 美濃路はゆるい坂を上って,大江川に架かるにさしかかります。橋の手前を中心に6叉路の交差点となっています。

 地図 A ↘ 2021-02



 交差点の北東角に小さい公園があって,稲沢市が設置した観光用の看板大江川遊歩道周辺案内図設置されています。ただし美濃路についての記述はまったくありません。

 地図 B ↑ 2021-02

大江川に沿って100mあまり進んだ先の高御堂公園に,トイレがあります。



 の上からの方を見たところです。写真中央が美濃路です。この交差点から,100mほど北西の信号機がある交差点までの間は,美濃路普通の道です。

 地図 C ↖ 2021-02

 曙橋を渡ると美濃路はゆっくりと下っていきます。ここからは再び県道136号線一宮清須線なります。

 地図 C ↓ 2021-02



美濃路は左にカーブします。カーブしているところに,稲沢市が設置した美濃路の道しるべがあります。
 稲沢市が設置した案内板などの多くには,市のマスコットキャラクターいなッピーイラストが添えてあります。

 2021-02

 地図 D 2017-04

 に向かう美濃路は,この先で右にカーブします。

 地図 E ← 2021-02



美濃路はこの先のT字路をすぎると狭くなって歩道がなくなり,およそ200mほどですが,昔からあるの集落を通ります。見取絵図にも,高御堂村集落吉祥寺が描かれています。

 地図 F → 2021-02



 家並がなくなって信号機がある交差点をすぎると,道は再び広くなって片側に歩道が付いています。ここから名鉄名古屋本線踏切まで,美濃路は田んぼの中を通ります。

 地図 A → 2021-02



踏切を越えたところに国府宮正式名は尾張大國霊神社ですが国府宮という名で親しまれています。絵図にも大きな神社が描かれていて國府宮と添えてあります。社標灯籠一ノ鳥居があります。
 国府宮本殿などは,ほぼ北に真っすぐ1kmほど続く参道の先にあります。

 地図 B 2021-02



 踏切を越えてしばらくは,高度成長期以降に市街化されたところを通ります。

 地図 C → 2021-03

美濃路から100mほど北に位置する正明寺公園トイレがあります。



 思いがけなく,といった感じで古い家屋に出会います。見取絵図にも,このあたりに何軒かの家屋が描かれています。
 美濃路はこの先の信号機のある交差点で右に折れます。

 地図 A ↗ 2021-03



信号機がある交差点で右に折れた先は両側に歩道が,そして左側東側)遊歩道が設置されています。ここから市民病院があるあたりまで,高度成長期以前には松並木が続いていたので,遊歩道には新しい松並木が再現されています。遊歩道が始まるところに美濃路の道しるべが立っています。

 地図 B ↓ 2021-03

 へ向かう美濃路は,この信号機がある交差点で左に折れます。

 地図 C ↑ 2021-03

交差点から東北東に200mあまり歩くと行きあたる中央公園に,トイレがあります。



遊歩道新しい松並木もここで左に折れますが,美濃路はまっすぐです。

 地図 D ↓ 2021-03

 美濃路からは外れますが,遊歩道を250mほど進むと公園に着きます。公園内に,トイレがあります。長束・梅公園の東側に道をはさんで隣接する大光は,見取絵図にもある古い寺です。



美濃路はここで左に曲がります。

 地図 A ↓ 2021-03


 昭和25年1950年)影の航空写真国土地理院)見ると,美濃路から分かれた部分の県道⑨〜⑫がありません。やがて開通した県道は,の集落を避けるように作られています。
 航空写真には,ここ⑨から北にあった松並木も写っています。




 県道136号線から分かれて左に曲がった先です。
 見取絵図では,このあたりの美濃路松並木ですが,この写真に写っているところだけ,家が並んでいます。

 地図 B → 2021-03


 先の航空写真を見ると,ここだけに家がある」いう状態は,江戸時代から戦後期まで続いていたようです。高度成長期以降の変化がいかに急激だったかを知るひとつのよい例だと思います。



 次の十字路で右南)折れた先です。この遊歩道で分かれた続きですが,ここからは松並木に代わって桜並木になります。

 地図 C ↓ 2021-03

 へ向かう美濃路は,ここで左西)折れます。

 地図 C ↑ 2021-03

 美濃路からは外れますが,遊歩道を北に250mほど進むと公園に着きます。公園内にトイレがあります。


 平成10年1998年)4月に,小川を渡る小橋の上から北西を向いて撮影した写真です。当時は⑩から⑫まで,桜並木美濃路と小川との間にありました。小川は,先ほど紹介した1950年撮影の航空写真にくっきり写っていますし,見取絵図にも描かれています。実は,暗渠になった小川の上に遊歩道が設けられたのです。


 地図 D ↑




 左側東側)視界が開けたところで,美濃路から50mほど東にある石碑群が見えます。後方には,平成19年2007年)完成した,当時世界一だった高さ173mの三菱電機エレベーター試験塔ソラエ,その右には昭和40年1965年)成の,これまた当時世界一だった高さ63mの試験塔も見えます。

 地図 E → 2021-03

石碑群は,区画整理などで立ち退くことになった石碑を寄せ集めたところだそうです。ほぼ中央にある石碑長束正家邸址の碑束正家豊臣秀吉に仕えて五奉行のひとりとなった武将です。で,正面に長束正家邸址 愛知縣と彫ってあります。実際に束正家があったところは,先ほど取り上げた大光の北だといわれています。他の3つは,それぞれ殉国/従軍/報国という文字があることから,戦没者に関係する石碑ではないかと思われます。

 地図 F 2021-03


 大正時代の写真を見たら,おそらくこの場所と思われるところに,右の2つだけが並んでいました。



 そろそろ桜並木が終わるあたりにを備えた小さい休憩所があり,美濃路案内板が立っています。案内板の内容は,すでに取り上げた美濃路稲葉宿本陣跡ひろばにあるものと,ほとんど同じです。

 地図 G 2021-03



美濃路はここで県道136号線に合流します。

 地図 H ↘ 2021-03


 遊歩道は,あと50mほど続いて終わります。なぜそこで終わっているのかは,小川の上に遊歩道を設けたことと,先ほどの1950年撮影の航空写真見てわかりました。

 の方を振り返って見るとこんな感じです。

 地図 I ↖ 2021-03

 に向かう美濃路は,遊歩道に沿って右に曲がります。

 地図 J ↖ 2020-11