長束をすぎたあたりから,東海道線の踏切までの美濃路を取り上げます。①〜⑥
この間の当時の美濃路★は,ほぼすべてが松並木でしたが,高度成長期★以降に都市化され,街道の面影★はほとんど残っていません。この間の現在の美濃路★は,すべて県道136号線(一宮清須線)です。
② 工場などが少なくなって,視界が開けてきました。
この先,歩道は幅が1m以下とかなり狭くなって70mほど続きますが,まもなく普通の幅の歩道が道の両側に付きます。
地図 A ↘ 2021-03
美濃路は右にゆるくカーブします。写真ではわかりにくいですが,右側の街路灯の支柱に美濃路の道しるべ★があります。
地図 B ↘ 2021-03
この先の信号機がある三叉路で,美濃路は左に曲がります。
地図 A ↓ 2021-03
③ 見取絵図★には,正面の家屋があるあたりから東にかけて数軒の家屋が描かれています。しかし明治地図★では松並木が続いています。
地図 B ↘ 2021-03
垂井に向かう美濃路は,この三叉路を右に曲がります。
地図 C ← 2021-03
三叉路をすぎると,美濃路はほぼまっすぐ東に向かいます。
地図 C → 2021-03
④ 信号機がある交差点をすぎると,左手に少しばかりの田畑が見えます。
地図 D → 2021-03
⑤ 美濃路はこのあたりから,戦後期★にはすでにあった集落に入ります。東海道線の踏切まではまだ200mほどありますが,渋滞の列が続いています。
地図 A → 2021-03
⑥ 東海道本線と「稲沢線とよばれている貨物線」を,美濃路(県道136号線)が横断する大垣街道踏切美濃路は大垣街道ともよばれています。大垣街道踏切は岐阜県の垂井町にもあります。は,長さ30mほどの間に5本の線路が通っている上,長大な貨物列車が稲沢線をゆっくり走ることが多いこともあって,遮断機が降りている時間が長く,なかなか渡ることができません。ここの県道は交通量が多く,狭い踏切内は歩道もないので,美濃路を歩く人にとって,かなりの難所です。
地図 B ↘ 2021-03