北市場美濃路公園①から清須市に入るところ⑦まで,美濃路を歩きます。この間には亀翁寺や総見院などが残っています。昔から★家並が続いていたこともあって,街道の面影★を残しています。
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地図:北市場美濃路公園から清須市に入るまでの美濃路 (●はトイレ)
① 北市場美濃路公園の前をすぎた先の左手に山車蔵があります。説明板はまだ新しく,3年前に訪れたときとは内容が少し変わっていました。
山車蔵の隣は立部神社です。立部神社は,明治以前は牛頭天王社といわれていました。見取絵図★には牛頭天王と書いてあります。
地図上のA点から↑ 2024-03
地図
説明板の内容
稲沢市指定有形民俗文化財
山車 二軸
毎年七月第三または第四土曜日
に行われる「こがし祭」で曳かれ
る。元来は津島神社と同じ川祭り
で、村境を流れる五条川に浮かべ
た船であったが、江戸時代の瀬替
えに伴い陸上で曳く山車が新調さ
れた。
高さ四m 奥行三・五m
昭和五〇年四月一日指定
稲沢市教育委員会
山車 二軸
毎年七月第三または第四土曜日
に行われる「こがし祭」で曳かれ
る。元来は津島神社と同じ川祭り
で、村境を流れる五条川に浮かべ
た船であったが、江戸時代の瀬替
えに伴い陸上で曳く山車が新調さ
れた。
高さ四m 奥行三・五m
昭和五〇年四月一日指定
稲沢市教育委員会
立部神社の読みですが,ネットで調べたところ,たてぶ/たてべ/たつぶがありました。近くに日下部町立部という地名があるので,たちぶの可能性もありますが,近所の方に訊ねたところ,たてべじんじゃと言ってますとのことでしたので,たてべとルビを振っておきました。
② 美濃路は,この先の十字路で右(南西)に折れます。まっすぐに進む道は高度成長期★にできた新しい道です。
地図上のB点から↘ 2021-03
地図
十字路で右(南西)に折れた先です。美濃路は突き当たって左(南東)に折れます。
地図上のC点から↙ 2021-03
地図
③ 垂井へ向かう美濃路は,この丁字路で右(北東)に折れ,立部神社の手前で左(北西)に折れます。
地図上のD点から↖ 2021-03
地図
④ 左手(北東側)に,鎌倉時代に創建された亀翁寺があります。国の重要文化財木造虚空蔵菩薩坐像が,本堂の裏に建てられた文化財収納庫に安置されていて,門を入ってすぐのところに説明板が立っています。見取絵図★を見ると,虚空蔵堂と書いてあります。
地図上のE点から↑ 2021-03
地図
門から入ったところです。
2020-12
説明板の内容
白峰山 亀翁寺 曹洞宗
後小松天皇のころ(一四世紀末〜一五世
紀初め)の創建で、享保一七年(一七三二)
まで亀翁寺と称したが、寺号を春日井郡
下原新田の薬師堂に譲り、虚空蔵堂と称した。
昭和一七年(一九四二)旧号に復した。
重要文化財
木造虚空蔵菩薩坐像 一躯 南北朝時代
稲沢市教育委員会
後小松天皇のころ(一四世紀末〜一五世
紀初め)の創建で、享保一七年(一七三二)
まで亀翁寺と称したが、寺号を春日井郡
下原新田の薬師堂に譲り、虚空蔵堂と称した。
昭和一七年(一九四二)旧号に復した。
重要文化財
木造虚空蔵菩薩坐像 一躯 南北朝時代
稲沢市教育委員会
亀翁寺の裏手にある北市場町東公園に,トイレがあります。
地図
⑤ 美濃路に面した駐車場に総見院(總見院)の説明板が立っています。写真にある十字路で右(南西)に折れると,すぐに総見院の山門前に出ます。
説明板があるところは稲沢市ですが,総見院は清須市になります。
地図上のF点から↘ 2021-03
地図
⑥ 総見院の山門★付近です。
地図上のG点から↑ 2020-12
地図
総見院の境内に,織田信長の墓碑が建っています。
地図上のH点から↖ 2020-12
地図
総見院から南東に向かった清洲一場大嶋公園にトイレがあります。
地図
⑦ 美濃路が稲沢市から清須市に入るところです。両市の境界は目立ちませんが,舗装の状態が変わっていることや,左側(北東側)の側溝が少しずれていることでわかります。また境界線上の路面に国土交通省都市再生街区基本調査基準点が設置されています。
地図上のI点から↘ 2021-03
地図
熱田に向かって進む
説明板があるところは稲沢市ですが,総見院は清須市になります。
地図上のF点から↘ 2021-03
地図
説明板の内容
信長の菩提寺総見院
清洲町の北端にあるこの寺は、最近
まで、この美濃路から織田信長公由
緒地の石柱碑と参道が見られた。
この寺は、清洲城主時代の織田信雄
が父信長の菩提寺として、桑名大嶋の
安国寺を引取り、総見院を建てたのが
始まり。清洲越しで名古屋大須に移っ
た後、一六四四年、総見院第三代和尚
の隠居所を兼ねて、尾張藩祖徳川義直
が清洲の旧地に総見院として建てさせ
たものである。
信長、信雄、義直の位牌や、信長、
義直の墓碑を祭る。本能寺の変直後に、
信雄が探し当てたという信長着用焼兜
が保存されている。
美濃路まちづくり推進協議会
清洲町の北端にあるこの寺は、最近
まで、この美濃路から織田信長公由
緒地の石柱碑と参道が見られた。
この寺は、清洲城主時代の織田信雄
が父信長の菩提寺として、桑名大嶋の
安国寺を引取り、総見院を建てたのが
始まり。清洲越しで名古屋大須に移っ
た後、一六四四年、総見院第三代和尚
の隠居所を兼ねて、尾張藩祖徳川義直
が清洲の旧地に総見院として建てさせ
たものである。
信長、信雄、義直の位牌や、信長、
義直の墓碑を祭る。本能寺の変直後に、
信雄が探し当てたという信長着用焼兜
が保存されている。
美濃路まちづくり推進協議会
かつて十字路の一角に松の木が生えていて,興聖山總見院と彫られた寺標★と説明板がありました。
当時の写真
1991-08⑥ 総見院の山門★付近です。
地図上のG点から↑ 2020-12
地図
総見院の境内に,織田信長の墓碑が建っています。
地図上のH点から↖ 2020-12
地図
墓碑に彫られた字を當寺大檀那信長公大居士台雷王と,なんとか読んでみましたが,雷王は違っているかもしれません。ところで台という漢字ですが,現在は臺の新字体★として,たとえば土臺を土台と書くように,よく使われていますが,ここにある台は,敬意を表わす意味で古来から使われている本字★です。
見取絵図★を見ると,総見院と美濃路を結ぶ参道があって,山門★は美濃路の方を向いていました。1946年撮影の航空写真(国土地理院)を見ると,やはりその参道があるように思われます。
総見院から南東に向かった清洲一場大嶋公園にトイレがあります。
地図
⑦ 美濃路が稲沢市から清須市に入るところです。両市の境界は目立ちませんが,舗装の状態が変わっていることや,左側(北東側)の側溝が少しずれていることでわかります。また境界線上の路面に国土交通省都市再生街区基本調査基準点が設置されています。
地図上のI点から↘ 2021-03
地図
熱田に向かって進む