二ツ杁駅の南から,東海道新幹線をくぐるまでの美濃路を取り上げます。①〜⑦
この間は昔から★家並が続いていて,ところどころに古民家★が残っています。問屋記念館や山車蔵などがあります。
名鉄二ツ杁駅にある2つの出入口,「名古屋 方面」と「岐阜 津島 方面」の前に,「西枇杷島問屋記念館へのご案内」という案内板が設置されていて,美濃路についても書いてあります。写真は名古屋方面の前にある案内板です。
地図 A ↑ 2021-05
美濃路については次のように書いてあります。文の折り返しは,現物のとおりではありません。
美濃路は、東海道宮宿(名古屋市熱田区)と中山道垂井宿(岐阜県不破郡垂井町)を結ぶ街道です。美濃路の宿場は名古屋・清須・稲葉・萩原・起・墨俣・大垣の七宿を数え、東海道と中山道の脇往還(街道)として発展しました。
名鉄二ツ杁駅の線路の下をくぐる地下道には,尾張西枇杷島まつりや美濃路の歴史などを紹介する大きな壁画があります。
地図 B ↘ 2021-05
美濃路から見た松原神社です。見取絵図★には「松原神社」は見当たりませんが,美濃路に松原町と添えてあるあたりに,天王と神明という神社が並んで描かれています。境内の由緒板★によると,明治時代になって,天王社が松原神社とよばれるようになりました。
地図 C ↑ 2021-04
② 交差点の角に,「みずとぴぁ庄内(庄内川水防センター)」の案内板が設置されています。みずとぴぁ庄内は,ここから100mあまり南に行った庄内川の堤防上に位置し,休憩所やトイレもあります。県道126号線(給父西枇杷島線)はここで左に折れ,直進する美濃路は普通の道★になります。
地図 D ↘ 2021-05
「問屋記念館」の看板に誘われるように中へ入ると,左側に「清須市の観光」という大きい案内板があって,新川から東の美濃路を詳しく紹介しています。
地図 E ↗ 2021-04
地図 F ← 2021-04
門の左側には「ふれあい広場」,右側には「問屋記念館」のプレートがはめ込まれています。正面に問屋記念館,すぐ右側にトイレがあります。
地図 F ↑ 2021-04
問屋記念館の前はゆったりした広場になっていて,右手には標柱★と説明板,背後には案内板「美濃路散策コース」が設置されています。左後方の「ふれあい広場」では子供たちが楽しそうに遊んでいました。補助輪が付いた自転車は,決して場違いではありませんでした。
2021-04
標柱には
清須市指定文化財第十七号「問屋記念館」,
説明板には縦書きで次のように書いてあります。文の折り返しは,現物のとおりではありません。
清須市指定文化財
問屋記念館
(旧山田九左衛門家住居)
一、旧山田九左衛門家住居は、住居部分とともに商用部分を持った併用住宅で、間口が狭く、通り庭にそって部屋が並ぶ中二階建てで、座敷は奥に配されるという典型的な問屋構造を成している。
一、言い伝えによれば、山田家の先祖の九左衛門は、慶長一九年(一六一四)の大阪冬の陣のおり、徳川家康が当地の庄内川を渡河した際、市兵衛とともにその世話をして功を成し、問屋業を始めたといわれている。後にそこに橋が架かると、元和八年(一六二二)九左衛門は市兵衛とともに「御橋守掃除給」として、一反四畝(一三八八平方メートル)余りの「永代除地」(永久免税地)を賜っている。
一、ここに復元された旧山田家住居は、明治の早い時期に建てられ、当地の美濃路を形成してきた町家の中でも、江戸期の様式を伝える価値の高い建造物である。
また、本町は、明治二四年(一八九一)の濃尾地震で家屋の大半が倒壊するという被害を受けたが、当山田家住居はその被害を免れた数少ない家屋の一つである。
なお、この家屋は平成四年五月に本町橋詰町五一番地から現在地に移築復元された。
清須市教育委員会
問屋記念館に入ったところです。
2021-04
◎問屋は,生産者から仕入れた商品を小売業者に卸す業者です。宿場に設けられていた問屋場★とは別のものです。
③ 少し前まで,この古民家★に「美濃路まちづくり推進協議会」の看板が掛かっていましたが,なくなっていました。
地図 G ↘ 2021-04
④ 西六軒町が所有るす紅塵車の山車蔵が美濃路から見えます。
左の建物の外壁,自販機の近くに説明板があります。
地図 H ↗ 2021-04
説明板には縦書きで次のように書いてあります。
山車蔵 (紅塵車)
西枇杷島町の五輌の山車にはそれぞ
れ山車蔵があるが、西六軒町の紅塵車
のみ、組立てたまま収納する山車蔵で
ある。あとの四輌は毎年解体して仕舞
われる。
五輌ともからくり山車で、この紅塵
車のからくり人形は三国志の武将関羽
の前で、太鼓撃唐子に合わせ、孔雀に
変身した鳥舞唐子が舞を演じるもの。
西枇杷島町の山車は約二〇〇年の歴史
を持ち、どの山車も毎年少しずつ補修
され、「尾張西枇杷島まつり」に元気
な姿を披露している。
美濃路まちづくり推進協議会
※令和3年(2021年)5月現在,すでに取り上げた頼光車以外は,解体せず山車蔵に収納されています。
⑤ 行く手に東海道新幹線の高架が近づいてきました。コンクリート造りの建物が多い中に,古い家屋が残っています。左手を見ると,高照寺(髙照寺)の一角のようなところに,石垣に囲まれた休憩所,清須市が設けた「いこいの広場」があります。東屋の下には石造りのベンチ,そしてトイレもあります。
高照寺の山門★は,すでに取り上げた清凉寺と同じように,鐘楼がのった鐘楼門です。なお高照寺は見取絵図★にはありません。
地図 I → 2021-04
地図 J ↑ 2021-04
地図 K ↑ 2021-04
⑥ 東海道新幹線の高架近くに,東六軒町が所有るす泰亨車の山車蔵があります。
地図 L ↓ 2021-04