2008年2月5日の夕方,いつものように
犬を連れて散歩をしていたとき,2つ並んでいる火の見櫓が目に留まりました。なんだか懐かしいような光景に興味をおぼえ,さっそく翌日の散歩時,そのうちの
近い方の火の見櫓まで行ってみました。
それから数日後,こんどは
遠い方の火の見櫓を見に行きましたが,地図にマークを入れようとしたとき,その場所に「高塔の記号」
があることに気が付きました。しかし近い方の火の見櫓についてはその場所に記号がなかったので,犬の散歩がてら見つけていくことにしました。
やがて10基ほどの火の見櫓を見つけたころ,近所の地図を調べていたら隣接する一宮市内に入ってすぐのところに「高塔の記号」があったので
行ってみました。しかし見当たらないの近くの店へ入って聞いたら「最近までありましたよ。でも撤去されました」と言われ,少し寂しい思いをしました。火の見櫓は,都市化が進んでいるところではほとんど見かけないし,失われつつあることも事実ですので,今のうちに近隣を巡って探しあて,写真に撮っておきたいと思いました。探す範囲は旧市内
(稲沢市は2005年4月1日に中島郡祖父江町と中島郡平和町と合併して,新しい稲沢市になりました)
にしようと考えました。
最初に準備したのが地図です。一軒一軒の民家などが表示される詳細な地図
(
its-moNavi:1/3000)
をA4用紙にプリントしたところ,1枚に収まる範囲は東西1.3km,南北1.0kmほどになったので,旧市内全域を収めるため,およそ50枚ほどプリントしました。地図の「高塔の記号」はほとんどが高圧線鉄塔でしたが,火の見櫓かもしれないと思われる箇所には印を付けました。
こうして準備が整ってきた7月下旬のこと,自転車でバローへ買物に行った帰りに火の見櫓を見つけたので寄ってみました。旧平和町内にある
須ケ谷の火の見櫓で,自宅からJR稲沢駅へ行くよりも近いところにありました。「せっかく見つけたこの火の見櫓も記録に残したい」という思いに駆られて計画を変更し,プリントする地図の範囲を,稲沢市全域が収まる長方形に広げました。
全域地図にある範囲です。プリントした用紙の枚数は144枚に倍増しました。
本格的な火の見櫓探しは,8月に開始しました。よほど近いところ以外は,自転車で行きました。そして探し始めてすぐ,火の見櫓といってよいのかどうかわからないような,
屋根の上にあるものや
コンクリート製のようなタイプを見つけましたが,とりあえず火の見櫓として記録することにしました。また隣接する美和町
(現在はあま市)
に
立派な火の見櫓を発見したのをきっかけに,稲沢市外であっても用意した地図の範囲にあれば,記録することにしました。撮影にはSonyのデジタル一眼レフ
α100を使いました。
寒くなってきたので,火の見櫓探しは11月で終えました。計画した範囲内には,私が見つけられなかった火の見櫓がまだまだ残っているでしょうから,機会があったらまた探してみたいと思います。